日本の温泉
投稿日:2022.04.30
加古川・高砂市のツトウ歯科医院です。ブログを見て頂き、ありがとうございます。
世界に誇る日本の温泉の凄さとは?
数の多さ(温泉地約3000)多種多様な泉質(源泉数約28000)
なぜ日本には様々な泉質の源泉が?
いろんな鉱物、元素がいっぱいあるから。
では、日本が複雑な地質構造になっている理由は?
4つのプレートが日本列島の近くにせめぎ合っている。断層ができてぐしゃぐしゃな地層になっている。火山も出てくるし、いろんな好物が地層に含まれている。そこをお湯が通ってくるから場所によって性質が微妙に違う。
温泉に必要な三つの要素は何かわかりますか?
熱源、水、通り道
日本の温泉には熱源によって、大きく2つに分類できます。
火山の熱によって暖められた
火山性の温泉
玉川温泉、箱根温泉、別府温泉、草津温泉
非常に深いところにあるマントルの熱、地中の熱で温められた
非火山性の温泉
白浜温泉、道後温泉、有馬温泉、川湯温泉
日本トップクラスの強酸性温泉 玉川温泉(秋田県)
日本トップクラスの強アルカリ性温泉 都幾川温泉(埼玉県)玄武岩
世界的希少な放射能泉(ラドン温泉) 三朝温泉(鳥取県)花こう岩
私が以前に行ったことがある三朝温泉、別府温泉、有馬温泉、道後温泉の紹介
三朝温泉2012年4月20日の
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世界有数の高ラドン濃度の温泉です。
ラジウム温泉とは、ラジウムが崩壊してできるラドン(弱い自然放射線を出すガスの元素)がある濃度以上溶け込んだ温泉のことです。温泉が湧出後、ラドンは気化して空気中に散ります。
気化したラドンを吸入することで身体に入ります。
気化したラドンガスは呼吸で肺に入り、血液を巡り全身の細胞内に吸収されます。また、飲泉することでも身体に取り込むことができます。三朝温泉はミネラルを豊富に含んだ泉質で飲むと胃粘膜の血液量が増加します。
ラドンの微量な放射線・熱が細胞を活性化、これがホルミシス効果です。
体内に入ったラドンの微量な放射線。熱が細胞に刺激を与え、新しい細胞がどんどん増え、体内の新陳代謝が促進されます。これにより、体の免疫力や自然治癒力が高まります。
抗酸化機能がアップします。
体内からの活性酸素を消去する抗酸化物質SODの働きが活性化すると言われる。
別府温泉 1.海地獄
神秘的で涼しげなコバルトブルー池。摂氏98度、今から1200年前に鶴見岳の爆発によってできた。
2.鬼石坊主地獄
灰色の熱泥が大小の球状をなしで沸騰する様が、坊主頭に似ており、鬼石という地名に由来して鬼坊主地獄と呼ばれています。
3.山地獄
山の至る所から噴気が上がっているため山地獄と呼ばれています。温泉熱の利用により飼育されている世界各国の珍しい動植物がみんなイキイキ。泉温90度。
4.かまど地獄
昔、氏神竈門八幡宮の大祭に地獄の噴気で御供飯を炊いた習わしがあったところから名付けられた。猛烈な噴気と共に高熱温泉を出しています。泉温90度。
5.鬼山地獄
別名「ワニ地獄」の名前で親しまれています。大正12年に日本で初めて温泉熱を利用したワニの飼育を始めた。泉温98度。
6.白池地獄
噴出時は無色透明の熱湯ですが池に落ち、温度と圧力の低下により自然に青白い色を呈してきます。園内では温泉熱を利用して、各種の大型熱帯魚を飼育しています。泉温95度。含むホウ酸食塩泉。
7.血の池地
獄煮えたぎる年度は噴気までが赤色。ここから産出する赤い粘土で、皮膚に効く「血の池軟膏」が作られています。泉温78度。
8.龍巻地獄
間欠泉は一定の間隔で熱湯と噴気を噴出します。
有馬温泉2012年6月1日の
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歴史は古く、神代の昔、大己貴命と少彦名命の二神が山峡有馬の里に温泉を発見したのが始まりだといわれ、道後、白浜と並び日本三古泉に数えられている。世に広く知られるようになったのは、奈良時代に僧行基が温泉寺を建立し、また鎌倉時代に僧仁西が12の宿坊を建ててからと言われますが、さらに繁栄をもたらしたのは太閤秀吉。秀吉は湯治のために、度々有馬に足を運び、千利休らと共に盛大な茶会を催しました。
道後温泉 白鷺の伝説
その昔、足に傷を負った一羽の白鷺が岩の間から湧き出ている温泉を見つけ、傷を癒したことに由来しているという。大国主命が重病の少彦名命を入浴させたところ快癒した。この地を訪れた聖徳太子が霊妙な温泉に深く感動した。
なぜ日本人が温泉を好きになったのか?
日本人の温泉好きは豊臣秀吉のおかげかもしれません!? 天然の岩を使って組んだ露天風呂は湯船の深さが65cmで当時としては画期的な構造になっている。腰を下ろして浴槽に寄りかかって入る。かつての温泉地のお風呂は立ち湯が普通で一度に多くの人が入るためだったと考えられています。秀吉が作り出した新たな入浴スタイルが現代の温泉文化でも繋がっている。
熱海温泉を愛したのは徳川家の将軍たち 徳川家と熱海の関係を示す「お汲み湯の図」が残されていた。お湯を汲み、樽に詰めて江戸城へ運んでいく様子が書かれている。お湯を運ばせる習慣は江戸にも話題になり温泉は庶民の憧れになっていた。
温泉文化はどう日本に広がったのか?
温泉はもともと体を癒す湯治場であった。最低1週間、大体3週間で一区切り、温泉場でゆっくり浸かって休養して体を治していた。湯治場から出発した温泉地ですが、江戸時代箱根にできた「七湯の枝折」という巻物が現代の温泉文化を生み出した?湯治のルールブックとして書かれたものです。箱根の湯治場で旅人一夜湯治が幕府の道中奉行に認められ、近隣の宿場町に伝えられた。江戸時代はだいぶ旅ブームが起こり、ものすごい数の人が伊勢に行く!普通は小田原に泊まるけど、箱根に行っちゃおうかということになりますよね。一泊温泉の楽しみ方は箱根から始まったということかな?7つの温泉をひとまとめに、箱根七湯ってことでセットになって、資料は本となり販売され、ガイドブックとなっていきます。ガイドブックを片手に七湯をめぐる、つまり旅を楽しむ現代の温泉文化はこうして始まったのです。
2022年3月19日 NHK ブラタモリ日本温泉スペシャル引用