院長ブログ

野球編(金本阪神ドラフト)

投稿日:2017.11.26
加古川・高砂市のツトウ歯科医院です。ブログを見て頂き、ありがとうございます。

A.金本阪神V連検証(日刊スポーツ引用)

1.連覇を許した広島との差はどこに

助っ人野手不在の先発オーダーは当たり前の光景になっていた。
131試合中88試合を国産オーダーで戦った。
ゲレーロ(中日)マギー(巨人)マレーロ(オリックス)の3人は、補強リストに上がっていたが、獲得に後手に回ったのだった。

2.ドラフト1位の藤浪、岩貞、横山で計8勝

ドラフト1・2位の野村(9勝)大瀬良(9勝)薮田(14勝)岡田(12勝)現役引退した黒田の穴を十分に埋めた。
球団教育、メディアや後援者など取り巻く環境といかに向き合うかは長年の課題であります 。

B.不思議な巡り合わせ

プロ野球通算本塁打10万号はマレーロ(オリックス)
試合前10万本ホームランまで残り4本だと知っていて、今日、打ったらその可能性が高いと思っていたそうだ。
5回に下岡田のホームランで大台に王手をかけたことを知ると「次は自分が打つ」と宣言し、メモリアルな一撃!
実は6月に幻の一発を売っているのです。
意気揚々とホームインと思いきや、まさかのホームベース踏み忘れで記録は三塁打となってしまった。
もしこの踏み忘れがなければ、マレーロは10万1号で、記録の10万号はその前を打った同僚の下岡田のものになっていました。
マレーロは「何かの縁かな。不思議なものを感じる」と笑った。

C.ドラフト(最初の三つは皆さんはご存知のことですが…)

1.江川卓「空白の一日」事件 1978年

阪急の1位指名を拒否して法政大に進学しました。
巨人入りを希望した大学4年時はクラウンライターが1位指名したため1年間アメリカに留学することになりました。
そしてドラフトで得た交渉権は翌年の会議前前日に失効するという野球協約の隙を突いて会議の前日に巨人と電撃契約!
しかしセリーグはこれを認めずドラフト会議で阪神が交渉権を獲得することになる。
世間からの批判を浴びつつ、すったもんだの末に、巨人の小林繁と交換トレードが成立したことは有名な話ですよね。

2.明暗分かれた「KKの年」  1985年

超高校級スラッガーの清原和博、プロ即戦力右腕の桑田真澄のKKコンビに大きな注目が集まっていました。
清原は巨人入りを熱望していましたが、巨人はなんと清原ではなく早大進学を表明していた桑田を単独指名したのです!
清原は記者会見の場で大粒の涙をこぼしていました。
この時の悔しさが87年の巨人との日本シリーズでの号泣へとつながっていきました…

3.ヤクルト濃厚のはずが… 1997年

ヤクルトと相思相愛といわれていた東京六大学リーグスター高橋由伸が巨人を逆指名したのだ!苦渋に満ちた表情からいろんな憶測を呼び、大人の事情(親の借金など)が働いたとか…

4.今年の巨人1位指名  鍬原拓也

貧困を乗り越え、夢を追った♂息子の覚悟と母の執念
幼い頃に両親は離婚し、家賃4000円/月の築50年以上の市営住宅に住み、お母さんのパートで得たわずかな収入で子供2人を育てる。
子供の散髪はお母さんの仕事、自分だけ美容院に行くわけにはいかず、節約のため自分の髪もハサミを入れました。
母の洋服は息子のお下がりで洋服を買うのは年に一度だけ。

野球を始めたのは小学3年生。
他人がお父さんとキャッチボールしているのを見て「ええなぁ…」
子供に寂しい思いをさせるな。
お母さんとキャッチボールしようか。
子供のためなら何でもする。母親としての意地。
そんなお母さんを見て、拓也の心に芽生えた夢。
母ちゃん、俺、プロ野球選手になるわ。
プロってすごいんやで。一流選手は3億も稼ぐんやて。
そしたら母ちゃん、楽になるやろ。
母の覚悟、拓也と同じ夢を追いかけたい。
子供の夢を一緒に追い続けたい。

小学生の頃、拓也は主力選手として全国大会に出場するようになりました。
チームが強い分、遠征費などに、これまで以上のお金がかかるようになり家計の負担になりましたが、お母さんは決して諦めることなく、思いもよらない驚きの行動に出たのです。
恥を忍んで身内や知り合いから、後はもう飛び込みで、
「拓也の遠征費を募金して下さい!うち貧乏やから遠征に行かせてやるお金がないのです。でも野球させてやりたくて、貸してくださいと言いたいところですが、きっと返せません。だから寄付してください」

中学時代は県内でも有名なピッチャーに成長しました。
中学2年生の冬、野球人生最大の試練が待っていました。
ピッチャーの生命線である右肘を故障したのです。
自分に課した厳しい練習、投げすぎが原因でした。
「過酷なリハビリの日々で少しずつ良くなっているまた投げられるように頑張ってリハビリにかよえ」と先生の意見でした。

お母さんと思うあまり、プロへの夢を自らたち切ろうとしました。
母ちゃん、俺野球やめるわ。
「野球の面で色々お金をかけて、家計が苦しくなるというか自分が色々迷惑かけてるなというのはすごくあって、何のために野球をやっているか自分の中で分からなくなった。母に迷惑はかけられない。 夢に近づくだけお母さんを苦しめる。だったら夢なんていらない」

数日後、拓也を引き止めようと野球関係者が自宅に集まりました。
「強豪校からいっぱい誘いが来ているのにもったいないやろ」
「手に職をつけて早くお金を稼ぎたいのです。家も楽になるし妹は高校に行かせてあげたいから」
「優しい子やから、家が貧乏やから気を使っているだけなんです。お金がないからって大事な夢諦めたらあかん。拓也が夢を叶えることがお母さんの夢なの」

福井県の強豪校である北陸高校に進学。
そして奨学金で名門の中央大学野球部でエースとして活躍し、プロ注目の本格派右腕へと駆け上がりました。

母親って子供のために何でもしてあげたい!
その気持ちは100%以上
だけど自分の生活とのつり合いが…
拓也が辞めると言った時、一番つらかったのはお母さんなんですよね。

拓也からの手紙(抜粋)

いつも自分のしたいことや欲しい物を犠牲にしてまで野球をやらせてくれました。
中学3年生で野球を本気でやめたいと言った時に初めて見たお母さんの涙、野球は続けて欲しいと言ってくれなかったら、今の自分はなかったと思います。
強くてかっこいい母さんは、僕の憧れです。
プロに行って親孝行するっていう夢、そんな小さい頃からの夢がいつのまにかお母さんの夢でもあって、今日叶えることができました。

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