院長ブログ

今年も終戦

投稿日:2015.10.16
加古川・高砂市のツトウ歯科医院です。ブログを見て頂き、ありがとうございます。

今年は阪神タイガース創設80周年なので何かがおこればと期待して、2月に沖縄のキャンプ場(ブログ3/18)とひめゆり平和祈念資料館(ブログ8/21)に行ってきました。
セパ交流戦ではパの圧倒的な強さが印象に残りました。
一方、セはドングリの背比べで4球団が競い、ある意味ではおもしろさがありましたが、阪神の場合はファンも選手も優勝への覇気が感じられませんでしたよね。
勝てば絶対有利になる節目の試合では、ことどとく敗けるいつものお家芸を演じ、あきれかえったり嫌気を感じるファンが多かったのではないのでしょうか。
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スポーツ新聞にこれでは勝てないというショッキングな記事が連載されていました。
(デイリースポーツ9/28~10/2、日刊スポーツ10/6~10/9)

1.中途半端な定位置争い、一丸になれず。

1月9日、メジャー移籍を目指していた鳥谷が一転、残留を表明しました。
和田監督は西岡に三塁コンバートを伝えていたが、上本と競争したいという強い主張を聞き入れてしまった。
指揮官が一選手をコントロールできない衝撃の事実は、瞬く間にチームに流れた。 西岡自身「競争がないとチームにとって良くない」と話し、ライバルが火花を散らすのはチームの活性化につながっていく。
しかし、キャンプ打ち上げの一時間前に「チームが勝つためにサードもやっておいてくれ」と西岡の三塁コンバートは敢行された。
本来なら本格的な実践に入り、結果で結論を出すべきだろう。
競争をあおりながらも、白黒はっきりつける形で決着させられない。
チーム内には「どうせ西岡は三塁に行くのに」という声も上がっていた。
的確な競争を仕掛けられず、春先からぎくしゃくした雰囲気が生まれた。
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2.とてもいい人ですよ、でも勝てる監督じゃない。

練習中にある主力選手が監督と話をしていた。その内容を問いかけると「3年ぶりに監督と話をしました」と苦笑いを浮かべた。
監督が腹をわって思いをぶつけられた選手はごく少数だったという。
選手との間に一定の距離を置くスタイルは間違ってはいないと思われるが、選手に本当の思いが十分に伝わっていなかったのは確かだ。
試合後のインタビューで、主力ではない選手のプレーがやり玉にあげられて、ナインが憤ったこともあったという。
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3.タイトルホルダーの助っ人勢が力を持ちすぎた。

・マートン 打てないイライラは、いつしかダイヤモンドではなく、後ろを向いて野球するようになっていた。
審判に対する侮辱行為まで平気で犯すようになっても退場にならなかった。ある審判は「本当なら退場。でも阪神の選手からもアイツは相手にしないでと言われているから」とあきれ顔で話したとか???
・メッセンジャー DeNA戦でベンチの指示を無視する背信行為!
心情に理解こそ示せても身勝手だったことは明白で、それでも首脳陣がその場で厳しく叱り飛ばすことはなかった。
ローテーションから外れることもなかった。メッセンジャーの勝ち気な性格を考えれば、なだめて前を向かせる判断が間違いだったとはいえない。ただ厳しさのない気遣いが続けば相手に甘えが生じても仕方がない。
・ゴメス 練習中にドローンを飛ばし球団から厳重注意を受けた。やはり監督、コーチが本人を叱り飛ばす場面はなかったようだ。
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4.監督とコーチ間での仲たがい。

開幕戦にはセ界屈指の打撃陣とみられてましたが、上本の不振の誤算から始まり、西岡の離脱が重なり、長く続く打撃低迷!
やがて首脳陣と選手に大きな溝を生むようになっていた。
いくら指導を受けても打撃向上が見られない。「黙って言うことを聞いとけばええんじゃ」と怒鳴りつけられることもあったという。
あるコーチにたいしては監督の顔色ばかりうかがっていると冷ややかな目で見るようになっていた。
事態は深刻度を増すようになっていった。
打撃コーチの目を盗んで、オマリー打撃コーチ補佐にアドバイスを求める選手が続出し始めた。
さらに追い打ちをかける事態が勃発、首脳陣にも亀裂が入ったのだ。
8/18からの巨人戦に3連敗した次の試合前の練習で、いつもなら打撃ケージの裏で練習を見守る関川コーチが一塁ベンチの横で行うバント練習から離れない。
代わりにオマリーコーチがメーンで指導を行うようになっていたのだ。関川コーチは和田監督が就任した際にたっての希望で招へいした。一番近い存在だった。
打順を巡って対立したことが原因で、選手の目の前で行われる仲たがいはチームをしらけさす結果となった。
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5.恒例「秋の失速」

長丁場の勝負どころを見極め、9月末に余力を持って入ることはできたか。
「とにかく目の前の一戦、一戦」と鞭を入れ続けていたようにも映った。
30代後半が主力を占めるチーム
39歳 福原・藤井
38歳 福留・安藤・鶴岡
36歳 能見
長く常勝チームを作るには、ドラフトでの選手獲得、育成がメーンでなければならない。
阪神タイガースのここ数年をふりかえると、メジャーから復帰の選手、FA補強選手が中心であった???
本来ならば、補強でしのぎながら次世代の選手を育成すべきはずだが…
阪神のドラフトに対する考え方は、スカウトが指名候補をリストアップし、監督がその中から指名選手を決める。
この方法だと監督の契約年数が残っているなら高校生の好素材の獲得にいけるが、契約最終年なら即戦力を指名することになってしまう。 残念ながら、即戦力として指名した選手が成果をあげられない。
メッセンジャーは中4~5日のローテーションだと球数に制限があり、完投には期待できないのでリリーフに負担がかかる。
9月に入って呉昇桓は2イニングを投げた翌日も、2点ビハインドの9回に投入され1失点を失い、足を引きずりながら帰った。
9月末の勝負の12連戦を前に、安藤と福原は疲弊し、呉は負傷、福留も満身創痍だった。ベテラン頼みのチームは秋を迎えてすっかり疲れ切っていたのだ! 008009

おまけ①鶴岡が引き出した藤浪の進化(江夏豊の投球分析)

着地する左足が3塁側へと流れるインステップが欠点だと指摘されていました。
つまり、左打者のインコースに投げ込もうとすると、どうしても力んでコントロールが乱れてしまう。カットボールは投げられるが、直球とスライダーが投げられなかったのです。
ところが、鶴岡と初めてバッテリーを組む(5/14 ヤクルト戦)と力むことなく左打者の懐を攻めることができるようになり、9奪三振の1失点で完投勝利しました。
その改善された秘密は鶴岡のリードにあったのです。インサイドを攻める前に、ボールからストライクになるアウトコースのスライダーを要求していた。
これが面白いように決まる。
このスライダーでカウントを一つ稼げた結果、次のインサイドへのボールは余裕をもって投げられ、さらに外側と内側の2種類のボールを使い分けることによって投球の幅が大きく広がることにもなったのである。
次に鶴岡と組んだ巨人戦も10奪三振のプロ入り初完封で勝利しています。
昨年と比べてフォームのバランスがよくなっているため、他の球種も質が上がり、四球が減っています。
100球以上投げた後に150キロを超す直球を投げられるのは、余計な力を抜いたフォームを覚えたからこそである。ありがたいことだ!
Number 885 参考
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おまけ②タイガース80年史で私の一番記憶に残った試合

2003年星野政権下で18年ぶりのリーグ優勝を果たす。
2004年に監督に就任した岡田は黄金期を築くべく野手の配置換えを行い、投手陣は中継ぎ、抑え「JFK」を充実させた。
もう、お忘れと思いますが、2005年9月7日の中日戦が最大のヤマ場でした。
①本塁突入でタイミングは微妙だったが球審はアウトの判定。
岡田監督は猛抗議でしたが、判定は覆らない。
②ヘッドスライディングで本塁に突っ込んできた3塁走者に対し、矢野捕手のタッチの方が早かったかに見えたが、判定はセーフ。
岡田監督が怒り狂った形相でベンチから飛び出す。それ以上の猛スピードで、平田ヘッドが球審に体当たりし、監督と球審の間に割って入って動かず、退場処分をうけ監督を守ったのです。
納得のいかない監督は守っている選手たちをいったんベンチに戻した。球団社長の説得で試合再開となるが、状況悪化し一死満塁となったところで岡田監督はマウンドへ向かった。
集まった内野手に向かい「打たれえ、言うたんや。こんなんで負けてもおまえのせいやない。責任はオレが取ったる。むちゃくちゃ投げえ、言うたんや」と振り返ったが、実際は少し違う。
意訳すれば、四死球の押し出しサヨナラ負けを恐れずに思い切って内角を突けというもの。久保田と矢野のバッテリーはそう受け取った。
延長にもつれるも激闘を制し、優勝へ向かって加速していったのだ。
阪神タイガース80年史(ベースボール・マガジン社)参考
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おまけ③8/7のブログでプロ野球選手の夫を支える妻たちの追加

主なプロ野球選手と結婚した女子アナ(当時の所属)
1990年|赤間裕子 (テレビ東京)|小早川(広島)
1992年|木場弘子 (T B S)|与田(中日)
1995年|中井美穂 (フジテレビ)|古田(ヤクルト)
1999年|福島弓子 (T B S)|イチロー(オリックス)
2000年|大神いずみ(日本テレビ)|元木(巨人)
2000年|木佐彩子 (フジテレビ)|石井(ヤクルト)
2001年|香川恵美子(T B S)|田口(オリックス)
2004年|柴田倫世 (日本テレビ)|松坂(西武)
2006年|小野寺麻衣(日本テレビ)|高橋(巨人)
2008年|河野朋子 (テレビ朝日)|井端(中日)
2009年|大竹佐知 (テレビ東京)|青木(ヤクルト)
2010年|長野 翼 (フジテレビ)|内川(横浜)
2011年|森 麻季 (日本テレビ)|澤村(巨人)
2015年|大平さやか(テレビ朝日)|長野(巨人)

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