院長ブログ

わが青春(歌の想い出)

投稿日:2015.05.27
私(62才)が幼い頃、ピンキー(今陽子)レコード
キラーズが恋の季節を歌っていたのを覚えています。

3人娘といえば
中尾ミエ (可愛いベイビー)
園まり  (夢は夜ひらく)
伊東ゆかり(恋のしずく)

御三家といえば
橋幸夫(いつでも夢を)
舟木一夫(高校三年生)
西郷輝彦(星のフラメンコ)

吉永小百合に代表されるような映画館で見る
高嶺の花の映画スターに対して、家で見れる
身近な存在に感じられるテレビアイドルが
登場しました。
70年頃、吉沢京子岡田可愛早瀬久美そして
岡崎友紀(おくさまは18歳)等がテレビ
ドラマのアイドル的女優として活躍していました。

その後、アイドルはレコードを売る「歌謡曲アイドル」と認識されたと思われます。

小柳ルミ子3枚重ね
宝塚音楽学校を主席で卒業
わたしの城下町130万枚ミリオンセラー
瀬戸の花嫁も大ヒット
天地真理 「時間ですよ」でテレビデビュー
「水色の恋」で歌手デビュー
70年代初期を代表する元祖
「国民的アイドル」
南沙織 沖縄の放送局勤務から転身
「17才」のデビュー曲が50万枚超
引退後、写真家の篠山紀信さんと結婚
《70年代前半=草創期》
1971年、森昌子が初代スター誕生のチャンピォンに
1975年、歌謡界のスーパースター山口百恵デビュー
1973年、70年代のトップアイドル桜田淳子デビュー

スター誕生とは
1971年から1983年まで放送された、テレビ史上初の素人が参加する公開オーディション番組で、スカウトマンがプラカードを挙げて獲得の意思を示し、人気アイドルを輩出し、一世を風靡しました。
普通の女の子がアイドルとしてデビュー、総勢88人の新人を発掘!

3人は同学年だったことから「花の中3トリオ」と呼ばれました。
森昌子は歌唱力抜群でデビュー曲「せんせい」は演歌調でした。
桜田淳子は笑顔が眩しく明るい性格のアイドルとして脚光を浴びていく。
山口百恵はひと夏の経験が75万枚超で人気が爆発し、連続ドラマ「赤い迷路」のヒロインでも人気となり、映画スターとしても活躍していく。

《70年代後半=草創期》
キャンディーズ=突然の解散宣言で伝説になったアイドル
スクールメイツを経て72年に結成
「8時だョ!全員集合」レギュラー出演
75年「年下の男の子」からヒット曲を量産
77年コンサートで自分たちだけで勝手に「普通の女の子に戻りたい」と解散宣言
78年後楽園球場で解散コンサート

ピンク・レディー=刺激的な振り付けでアイドル界に革命
スター誕生の出身
76年「ペッパー警部」のデビューで大胆な振り付けが子供達に受ける。
77年から78年にかけてシングルチャート連続9曲1位獲得
数曲連続のミリオンセラー達成
活動期間4年7ヶ月で81年解散

そんな中、山口百恵は三浦友和と交際発覚し、80年絶頂期に完全引退し、アイドルのバトンは次の歌姫に受け継がれることになります。
山口百恵のファイナルコンサート開始日と松田聖子の初コンサートの開始日が同じ1980年9月30日

《80年代前半=黄金期》
何が何でもトップアイドルを誕生させなければならなかった。

1980年
松田聖子デビュー
1982年—-花の82年組
小泉今日子中森明菜早見優堀ちえみ松本伊代石川秀美
1984年—-花の84年組
菊池桃子萩野目陽子岡田有希子長山洋子

《80年代後半=成熟期》
1985年
花の85年組
斉藤由貴本田美奈子中山美穂南野陽子森口博子
おニャン子クラブ
工藤静香国生さゆり新田恵利渡辺美奈子
1986年の52週のうち36週でおニャン子クラブ関係がシングルチャート1位を獲得

では、松田聖子中森明菜の偉大さをみてみますと比較
チケット西城秀樹 あべ静江 今陽子 晃 加橋かつみ 山田パンダ 大野真澄 小川知子 西口久美子 あいざき進也 LILIES なつかしい顔ぶれで、
青春時代にタイムスリップしました。
ピンキーあべ
当時はあまり関心なかったのですが、脳梗塞後遺症と闘って
毎日リハビリに頑張ってられる西城秀樹さんと会えて感激、ヒデキ還暦!

2003年6月21日の韓国ディナーショー後に体調不良を自覚、帰国後に脳梗塞と判明し入院しましたが、一ヶ月で復帰しました。
2011年12月19日検査入院で、再び脳梗塞と診断されます。
運動神経に近い血管がつまり右半身麻痺、しかし本人の努力のかいがあって2ヶ月後には杖がなくても歩けるほどに回復しました。
2014年4月ステージにもどり6曲歌うが、西城秀樹の代名詞Y・M・C・Aは激しい動きのため中止せざるをえなかったのです。
2015年4月7日の同窓会コンサートではアンコールでY・M・C・A
そして、4月13日還暦ライブ、14日にその模様をテレビ放送されました。
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また闘わなきゃいけないのか。気持ち的には、死にたいという気持ちになった。歌手廃業の言葉もよぎった。みんなに迷惑かけたくないのでやめようと思った。
そんな状況の中で、支えているものは何か、やるしかないと背中を押している物は何か?
家族なのです!
子供達は大変だとわかると何か必要か、何しようかと看護師さんみたいに接してきたという。
歌手西城に勇気を与えたのは、長男の「パパ歌をやめたら怒るからね」の言葉。子供が20才になるまでは歌い続けたい!

再びステージに立つ!その日のために、ストレッチ、ウォーキング、地道なリハビリと真剣にむかいあった。
厳しい!相当辛い!でも、やるしかないんですよね!

(ありのままに 三度目の人生を生きる より)
一番つらかったのは他の入院患者さんと一緒にリハビリメニューをこなさなくてはならなかったこと。
好奇心いっぱいの視線がぼくの体に突き刺さるように痛かった。

これをのりこえてみんな一緒だと気がついたという。
ありのままをさらけだすのは勇気がいりますよね。
歩行も話すのも不自由を感じているのに全くかくすことなく、すべてを
前面に出す。同じ病気をかかえている人達あきらめたらいけないというメッセージなのです。
事実、還暦ライブ後のファンの声に、
すごく頑張っているし、自分も介護をしているから勇気をもらえますね。
私も病気だったのでとても元気をもらっています。
大変つらい思いもしたのにここまで頑張ってくれてヒデキは
永遠に私たちのアイドルです。
来年も加古川で同窓会コンサートが開催されたらいいなラスト

最後

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