院長ブログ

オレンジ計画

投稿日:2019.10.01
前回の続きで是非知っておいてほしい内容です。

日露戦争後の国際関係

日英同盟(1902年)が結ばれている。

オレンジ計画


第1次世界対戦時代の政治

第1次世界対戦後の国際関係

・日独防共協定(1936年)
・日ソ中立条約(1941年)



大日本帝国憲法には、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)」する。
(国政の重要事項を全て掌握する存在とされていた)
それなのに天皇自らの意思をなぜ通すことができなかったのでしょうか。

憲法にはこうもあります。

天皇の行動は憲法の条規ニ依って行う。
ルールに則った政府の見解には反対しない天皇の立憲君主としてのあり方。

絶大な権力者であると同時に憲法に従う立憲君主でもある。 強い葛藤を抱えていました。

日本に生まれた政治システムには大きな問題がありました(横並び弊害)



明治政府が陸軍・海軍を作る時、天皇を祀り上げるというのがやりやすかった。つまり、兵士は天皇陛下のために戦うということは、教育として教えやすい。

統帥部について横並びの内閣は容易に口出しできません。
こうして軍部が暴走しても誰もそれをコントロールできない体制が生まれた。

両論併記、非決定

これが当時の国策のあり方。
誰からも文句が出ない、そういう政策を作ろうとすると当たり障りのない何を決めたかわからないようなものを文章にするしかない。

御前会議の帝国国策遂行要領はまさに両論併記の典型でした。

1.アメリカ・イギリスに対し戦争準備を整える。
2.並行して外交交渉を継続する。
3.10月になっても外交交渉成立のメドがつかない場合、開戦を決意する。

御前会議の前日、天皇は陸軍海軍参謀総長に米英の見通しを尋ねると開戦の意志でした。
本来、御前会議は政府と軍部の代表が話し合い、決まったことを天皇に対して報告するだけの会で、天皇は裁可承認するのみであった。
天皇は発言しないのが慣例でしたが異例の発言(和歌)!

よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
ところがこの歌は戦争を明確に否定してはいませんでした。
そのため陸軍将校の手記によると「陸軍大臣のなすべきことは連日連夜でも参内して回線の必要な理由を陛下に言上することだ」
天皇の苦渋の策はないがしろにされた。

昭和16年10月18日 東条内閣成立

天皇は東条に意向を伝える。
9月の会議で決まった両論併記の国策にとらわれず国の方針を再検討するように。いわゆる白紙還元の御諚。
開戦を避けたいと願う天皇の意思表示。
東城への強い期待を物語るが…

無謀なる師(無謀な戦い)を起こすことがあれば、皇祖皇宗に対して誠に相済まない旨を述べられた…昭和天皇実録

昭和天皇に限らず代々天皇が常に考えたのは万世一系の皇統を絶やさないようにする。
アメリカの方が国力も大きいし軍事力も日本より強大である。
それは昭和天皇もよく認識されておられたわけですから、勝てる見込みのない戦いに打って出るのはどうなのか。
やっぱり心のどこかに負けたら皇統がどうなるのかという意識があって、そうなると簡単には開戦には踏み切れなかった。

もし天皇が外交交渉一本槍で進みたいと思っているのであれば御前会議の前に原案を差し戻して考え直せと再考を促すということも可能だったはず。
そうなれば歴史の展開は現実とは異なったものになったと思われます。

NHK歴史秘話ヒストリア運命の御前会議より

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