院長ブログ

サムライブルー(ロシアワールドカップ)

投稿日:2018.08.01
加古川・高砂市のツトウ歯科医院です。ブログを見て頂き、ありがとうございます。

野球以外のスポーツのブログとしてはテニス(錦織2015年3月31日)とスケート(浅田2014年3月13日羽生2016年4月17日)です。ぜひ見てくださいよ
今回は世界を驚かせた西野ジャパン、メンバー23人の平均年齢が28.3歳(最年長が35歳の川島、30代が8人)のおっさんジャパンです。

ハリルホジッチ前監督は就任時にデュエル(決闘)をキーワードに厳格な肉体面と精神面の改革を求めました。そしてワールドカップ大会を見据え、予選を通じて世代交代を推し進めてきました。その結果、久保、浅野、井手口らリオ五輪世代が台頭し、長く代表の中核を担ってきた本田、岡崎、香川らは出番を失っていました。戦術では日本国内で信仰されがちのショートパス中心のポゼッションサッカーではなく、まずはゴールに向けて素早く最短距離で突き進む手法にこだわっていました。また、フィジカルの強化には口酸っぱかったようです。体脂肪率12%を上回った選手は代表合宿に呼ばないと断言!代表活動期間外での基礎フィジカルの向上の必要性を唱えたのです。体格が優れる相手にも肉体的なコンタクトをいとわない戦を求めた。結果として、厳格な指導スタイルと合わない選手との距離が離れていき、解任の憂き目にあいました。(協会トップの田嶋会長の独断での監督交代劇)

ハリルホジッチ前監督は、明確な戦術を掲げ、選手個々に具体的な役割を与え、それを遂行することを何より求めていました。とにかく言う通りにやりなさいの管理型、選手からの意見も一切受け付けず厳格さで引き締めたのでした。その体制からの解放は選手たちに活力を与えました。
スタッフを日本人で固めることで意思疎通に重きを置きました。
チーム結成時には「自分には国際的な経験は無い。何かあったら言ってくれ」と海外組に申し渡し、選手たちは肩透かしを食ったが、自分たちがやらなければと火もついた。

ベースキャンプ地カザンの宿舎では、リラックスルームで卓球やビリヤードに興じるようになり、コーチらとも戦術について議論を交わしていました。海外で10年近くプレイした選手が主軸で、意見交換でき物言える選手が多かったこのチームには、自由な気風があっていたのです。
西野監督が4月の就任後に最初に要求したのが分析担当の充実でした。担当制を敷き、一次リーグ同組の3カ国に密着させ、ライバルを丸裸にする一方、情報漏洩を警戒しました。開幕前の親善試合3試合で、登録メンバー全23選手を起用し、3バックと4バックを併用した裏には対戦国をかく乱する狙いもあったのです。

コンディショニングコーチ(早川)の体調管理も実りましたね。
科学的データを収集して体調を把握し、個別メニューを課した。
国内合宿の合流日を別々に設定し、試合後二日間はリカバリーに充て、効果的なタイミングで休日を入れる「ゆとり調整」が実現したのです。大会前から各試合の気象条件を細かくチェック。
第3戦ポーランド戦は第2戦セネガル戦から気温が10度近く上昇。選手にあらかじめ情報を与え、練習時間を最も暑い日中に設定するなど心身の準備も促した。日本の英知を結集し、決勝トーナメントまでたどり着いたのです。

覚悟を持って、人を信じ抜ける男だった。
当初は負傷辞退の可能性があった乾、診断画像を信じないで動きを見てほしいと直談判した岡崎、この2人を西野監督は信じた。
前回14年ブラジル大会コロンビア戦に出場していた8人が、全員4年後もピッチに立ちリベンジに成功した。
ロシア入り後はその勝負勘を生かした采配と結果で求心力を得て、「いい人」から「俺たちの監督」となっていく。 皆が口を揃えていたのは、期待されないこの状況絶対にひっくり返してやろう。選手を燃え上がらせていたのは旺盛な反骨心であったのだ。

なぜ躍進に導くことができたのか(サッカーマガジン8月号増刊より)

パラグアイ戦(親善試合最終戦)あたりから急速にチームは輪郭を持つようになった選手同士には一緒にプレイしていて感性が「合う」「合わない」ということがある。
初対面に近くても一瞬で共犯になれる関係性を築けることもある。
逆に、合わない選手とはどんなに練習しても合わないこともある。
香川と乾(C大阪)柴崎と昌子(鹿島)というピッチ中央から左のラインは、ボールの出し手、受け手として同じ感性を共有できる間柄のように見える。根源的な部分で感覚的に共有できるものが「在る」のだろう。現役時代は繊細なMFだった西野監督はそこをしっかり見抜いていたのだろう。面白いのは、サイドバックの長友を加えた、個々の発想に走力を加味した左からの崩しが強烈な一方で、吉田、酒井、長谷部、原口がいるピッチ中央から右のサイドが実に堅牢なこと。相手の攻撃を右へ右へと追い込んでボールを回収したら、ボールを左へ左へと動かして、乾、長友の遊撃性で勝負する。

さらにワントップの大迫をクッションに使う。
大迫の長短の縦パスボールを収める力と、収めてからの散らす力は本当に「半端ない」。相手守備の中央にかける圧力が増すことで、両サイドからの崩しもバランスよく回転させられるようになった。

勝負を決める切り札である本田圭祐

過去に2度のW杯出場で日本の挙げた全6ゴール中5得点(3ゴール2アシスト)に絡んできたのですが、絶対的な存在ではなくなりつつあった。アジア予選ではコンディション下降し、西野監督就任後のテストマッチのガーナ戦スイス戦に攻撃の中心として起用されるも結果を残せずスタメンを譲ることになりました。
スタメンから外されたといって決して腐ることなく、ベンチからチームを鼓舞し、何より与えられた少ないチャンスの中誰よりもギラギラとチャンスをうかがっていました。
槙野智章W杯日記によるとスタメン落ちの本田から言われた。
「悔しいよな。でも俺たちでベンチも盛り上げてみんなを助けてやろうぜ!」
試合に出れるメンバーだけが戦っているのではない。
ベンチメンバーもゴールしたら共に喜び、レフリーに対して一緒に抗議する。
全員が勝利のために何が自分にできて動けるかが大切だ。
本田はベンチから飛び出して乾選手に「あそこ、左サイドのスペースを使え。柴崎からそのボールを引き出せ」
セネガルの弱点を見抜き、前半 日本1ー1セネガル

他国に命預けた究極の選択

采配ではなく、ただのギャンブルだといわれればそうかもしれない。
試合に負けたが賭けに勝ち、日本は突破した。
「これは間違いなく他力の選択を選んだということ。負けてる状況をキープしている自分、チーム…。それも非常に納得いかない、本意ではない選択をしている。他力を頼っている我々…。自分の心情とすれば不本意です。でも選手に遂行させました。ただW杯はそういう戦いもあって、その選択が正解と出れば、それは勝負にも勝ったということとチームとしても思いたい」


翌日のミーティングで西野監督は選手に「素直に16強を喜ばせてあげられなくてごめん。勝ちに向かわない判断をして申し訳なかった」と謝った。選手たちは、失点し監督に究極の選択をさせてしまった僕らにこそ責任があると考えていたようです。さらに、惨敗して14年W杯ブラジル大会からの思いを涙ながらに伝えようとした選手がいたからこそ、さらにチームは強く団結し、強豪ベルギーに立ち向かえたのです。

本田の考え方(アエラ増刊7/15号より)

監督はリスクを取りに行ったが、個人的には結果的に素晴らしい采配だったと思っています。僕が監督でもこの采配はできなかったと思う。今日に限っては結果が全てでしたから」
批判は当然として受け入れる。どんな手段であれ、結果が大事だとわかっている。
「サッカーってほんとは結果至上主義じゃダメなんですよ。でも結果を出さないと、誰も見向きもしてくれないので、俺は結果だけを追い求めてきている。本当はいいサッカーをしてナンボ。
だからブーイングが起こったわけだし、ファンには申し訳なかったと思います。でも次に進まないと意味がないことを理解してほしい」

FIFAスタッフ絶賛ツイートで世界中から賞賛の声

撮影されたロッカールームは使用前のように綺麗でゴミひとつ見当たらず、床はピカピカに輝いている。そして正面の台には、「スパシーバ」とロシア語で「ありがとう」を意味する手書きのカードと青い紙で折った折り鶴も置かれていた。
悔しい負けの直後だっただけに、この投稿には日本代表のマナーを称えるコメントが世界中から殺到。
「日本人の姿勢は最高だ」「真の勝者だ」「地上で最も尊敬できる人たち」などと英語での絶賛の書き込みが続々と寄せられ、6時間後にはツイート数2万件近くなりヤニセンズさんは投稿を削除した。1998年のフランスW杯から試合後に、観客席で清掃活動することが海外で広く知られているが、選手スタッフたちも同様に振る舞っていたことに称賛の声が広がっています。立つ鳥、跡を濁さず

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