院長ブログ

青春時代を醸す、蘇る、甦る

投稿日:2017.04.29
この間、64歳の誕生日を迎えました。
段ボール箱を開封したら、なんとレコードが残ってたんです。
私の青春時代をタイムスリップ

時々の空気を醸し出すのが、一世を風靡したスターであり映画、テレビドラマではないでしょうか。
かつてはスターは手の届かない存在でありました。

1946年にデビューした美空ひばりさんが12歳で主演した映画「悲しき口笛」は主題歌とともに大ヒットしました。同世代の少女の憧れを背負い、スター街道を突っ走っていきました。



戦後復興のエネルギーとシンクロしたひばりさんに対し、戦後民主主義の精神を体現したのが吉永小百合さんではないでしょうか。

映画に変わりテレビ時代が本格的に到来した70年代、価値観が転換しました。
スターからアイドルへ!象徴的だったのはオーディション番組「スター誕生!」でしたよね。
視聴者と選考に参加しているようで、憧れの対象というよりも等身大の存在になっていく。
原石を見つけ、育てていく感覚でファンが成長を見守っていく。
花の中3トリオと呼ばれた森昌子さん、山口百恵さん、桜田淳子さんに、ピンクレディー、キャンディーズ…テレビ生まれのアイドルをブラウン管で見ない日は無いほど各テレビ音楽番組で放送されていましたよね。

80年代に入るとアイドル像はさらに変容していきます。
人々は豊かさの中で自分の生き方を探し始めました。
人気絶頂で結婚、出産を経て復帰した松田聖子さんの生き方に、同性のファンは自らを託していたように思えます。

85年のバラエティ番組「夕焼けニャンニャン」はファンとの距離を一気に近づけました。
月~金17時から1時間の生放送という放送時間の勝利で「おニャン子クラブ」ブームが始まる。
長時間の放送枠があれば集団アイドルであってもブレイクすることがわかりました。
アイドルは等身大から素人へ!そして今、握手会などで親しみやすさを売りにした「AKB48」に続けと多彩なコンセプトのアイドルグループがファンとの距離の近さを競うようになってきてます。
(神戸新聞平成27年6月6日を参考)

ドラマや歌のタイトルに「青春」の文字が見当たらなくなったように思います。
純愛や情熱、友情を書く事はなんとなく気恥ずかしい空気が蔓延しているのですね。
私が中学生の頃(50年前かな)はそうではなかった。
真っ正面から麗々しく青春を歌いあげ、それが若者に受け入れられた時代だったのです。
その代表が日本テレビの「青春シリーズ」と呼ばれるドラマ郡であります。

1965(昭和40年)年 青春とはなんだ 貴様と俺
1966(昭和41年)年 これが青春だ
1967(昭和42年)年 でっかい青春
1972(昭和47年)年 飛び出せ!青春 太陽がくれた季節 われら青春! ふれあい

われら青春!でデビューした中村雅俊さんは、陰りの見える学園ドラマから脱し、新しい路線の牽引車となります。

1975(昭和50年)年 俺たちの旅
1976(昭和51年)年 俺たちの朝
1978(昭和53年)年 俺たちの祭

1970年代後半から「しらけ世代」と呼ばれる若者が現れ、ドラマの世界でも1979(昭和50年)年 3年B組金八先生(TBS)

思春期の暗部をよりリアルに深刻に書くようになっていきます。
扱う若者も中学生へと低年齢化します。

1978(昭和53年)年 ゆうひが丘の総理大臣
1979(昭和54年)年 あさひが丘の大統領

90年代のバブル崩壊とともにストレートに青春を鼓舞するような空気が時代から失われたようです。
しかしながら白い髪や薄くなった頭の人たちはきっと「大きな空にはしごをかけて、真っ赤な太陽、両手でつかもう…」「君は何を今…」と歌えるはずです。
熱い思いが蘇るはずです!
(サンデー毎日平成27年11月29日を参考)

刑事ドラマも簡潔にタイムスリップ(私の覚えている範囲)

七人の刑事
ザ・ガードマン(宇津井健)
Gメン75
太陽にほえろ(石原裕次郎)
西部警察
踊る大捜査線
警視-K
古畑仁三郎
相棒

石原裕次郎館(北海道)



Yu’s Bar

八王子店
042-627-1110
銀座店
03-3567-5717



私の青春時代の一番の思い出は小柳ルミ子さんなのです。

大学時代、歌謡パブの銀座「メイツ」に何度か行ったことがあります。
目的はルミ子さんの歌を聞きたかったからです。
私の城下町、瀬戸の花嫁、星の砂…
(読売新聞平成29年2月)平尾昌晃、生涯青春、人と歌とめぐり逢い昭和40年前半、当時の音楽界は過渡期だった。
ロカビリーはロックンロールやR&Bに。
外国から反戦歌として入ってきたフォークが人気となり井上陽水や吉田拓郎らが現れた。
いろんな音楽がひしめく時代に突入していた。
平尾昌晃さんの作風も昔とは変化が…
それまで伊東ゆかり、布施明に書いていたポップス系が主体だったが、信州でローカルの良さを体験して「和洋折衷の歌を作りたい」と言う心境に変化した。
メロは日本的な和で、リズムは洋楽っぽい4、8ビート。
歌いやすいリズムを意識していた時、出会ったのが小柳ルミ子だった。
(平尾昌晃 著 昭和歌謡を引用)
歌手、ことに新人の曲を作る時、できるだけその人の人間性をつかもうと心がける。
小柳ルミ子さんの時も同じだった。
デビュー曲を頼まれた時も、よく話をしたり一緒にディスコで踊ったりもした。
宝塚音楽学校を主席で卒業していますが、歌手になりたくて勉強した。
実際、歌を聞いてみると魅力的な声で艶があり、ことに高音が素晴らしく「売れる声」の持ち主だった。
また、なぜか日本の情緒を感じ取り、懐かしい日本の風景が感じられる大人の童話のような歌が作れないかなと思った。

私は結婚しないと言うルミ子の一言から、歌で嫁入りをさせることになった。
山上さんは「峠の花嫁」と「瀬戸の夕焼」の2編の詞を書いた。
マネージャーが2つ合わせて「瀬戸の花嫁」ってどう?
山上さんは詞を書き、平尾さんはメロディを作る。
つまり、歌に合わせて曲を作るのでもなく、曲に合わせて詞をはめ込むわけでもない。
同時進行、よーいドン方式だ。
10日後、2人を合わせたら、なんとサビまでピッタリだった。

昭和54年3月、いよいよ大学卒業が迫ってきました。最後のメイツの日、司会者の配慮でステージに上げて頂き、目の前でサイン色紙を書いて頂きました。(涙、涙、涙)

日本を代表する作詞家、作家、阿久悠は、誰もが知る多数の歌謡曲の作詞を手がけました。
その数は5,000曲以上に及びます。
都はるみさんの「北の宿から」ピンクレディーの「UFO」石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」などの大ヒット曲をはじめ、アニメソングやCM曲まで幅広いジャンルでヒット曲を数々世に送り出してきました。
日本レコード大賞は史上最多の5回、シングルレコードの売り上げは6,800万を超えています。

明治大学 阿久悠記念館 03-3296-4329




作詞家、作家としてのその時々の現在を切り取り、創造を続けるために、時代と向き合うことを強調し続けた。
現代の作詞家は現代を直視しなければならない。
決して目をそらす事は許されないのである。
目を逸した時点、御隠居にされてしまい、何をいおうとオブザーバーの戯言にされてしまう。
歌謡曲は時代を食って、色づき、育つ。
時代を腹に入れて巨大化し、妖怪化する。僕はそう思っている。

洲本市五色町
歌碑
あの鐘を鳴らすのはあなた
和田アキ子


津軽海峡

八甲田丸船首側、八甲田丸前緑地に建つ津軽海峡冬景色歌謡碑。前を通るとそのメロディーが流れます。歌詞に登場する連絡船は、まさにここから出港していました。

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