院長ブログ

自然の中で心が開き、命が呼応する感動の2ヶ月間

投稿日:2016.11.05
加古川・高砂市のツトウ歯科医院です。ブログを見て頂き、ありがとうございます。

10月15日、16日と埼玉県にいってきました。
1.鮫島 純子 t0021922年東京生まれ。資本主義の父・渋沢栄一氏の孫。20才で鮫島員重氏と結婚。戦中戦後、男児3人に恵まれる。夫の退職後、水彩スケッチの旅や早朝散歩をニ人で楽しみ、元気な毎日を過ごす。
78才の時、58年共にした夫を、本人の希望によって自宅で介護し静かに見送る。出版社の勧めにより看護中、夫を慰める為に書いたイラストを出版。
以来、NHKやフジテレビに出演。対談、エッセイ、講演会等で多忙な日々を過ごす。好奇心、聡明さ、品性、しなやかさ、ユーモアを兼ね備えた驚異の94才。
著書『なにがあっても、ありがとう』など好評。
2.池川 明 01011954年東京都産まれ。池川クリニック院長、医学博士。東京大学医学部大学院終了、上尾中央総合病院産婦人科部長を経て、89年神奈川県横浜市に池川クリニックを開院。1999年より「胎内記憶」に関する研究を初め、国内外の第一人者として知られる。その結果を医療の現場に活かし、母と子の立場に立ったお産と医療を実践。出生前・周産期心理学協会の日本におけるアドバイザー。中間生記憶や前世記憶についても調査し、そこから考えられる豊かな人生の考え方を、お産を中心に提唱している。著書『ママのおなかを選んできたよ』など多数。
3.神渡 良平 t0031948年鹿児島県生まれ。九州大学医学部中退後さまざまな職業を経る。1986年脳梗塞で倒れ右下半身不随に陥り闘病生活中に、人生はたった一回しかないこと、どんな人にもなすべき使命があってこの地上に送られていることを痛感する。懸命なリハビリによって社会復帰できたが、そのときの「貴重な人生を取りこぼさないためにはどうしたらいいか」という問題意識が、作家となった現在、重低音のように全作品に流れている。新刊『アメイジング・グレイス 魂の夜明け(心が癒されるCD付き)』(廣済堂出版)が話題。
4.山田 雅人 t0041961年大阪府生まれ。1984年第一回松竹芸能タレントオーディションに合格。関西出れば「鶴瓶と花の女子大生」でデビュー。おはよう朝日、ざまあカンカンで活躍。「男はつらいよ」「渡る世間は鬼ばかり」で俳優としても活動。タレント、俳優として活動する中、2009年よりひとり舞台「かたり」というオンリーワンの話芸を定期的に開催。かたりとは奇蹟の裏側にある人間ドラマに焦点をあて、落語でも漫談でも一人芝居でもない、聞き手と一緒に作り上げる想像の世界。現在NHKラジオ「かたりの劇場グッとライフ」放送中。著書『長嶋茂雄物語』が好評。
特におもしろかった山田雅人さんの話の一部を紹介します。
日頃から父は茂雄に「これからは学歴社会になる。どんなことがあっても大学だけは出ておきなさい。プロ野球に進みたいなら、大学を卒業して進んだっていい」と話していました。
父親の権威は絶対でしたので立教大学に入学しました。そして、一年生の6月「父、危篤」と知らされ、実家に戻ります。父の手をそっと握ると「茂雄、六大学一の打者になれ。そして、プロ野球に入って富士山のような打者になれ」と言って亡くなりました。生活が一段と苦しくなりました。
そこで茂雄は「かあちゃん、オレ、大学を辞めてプロ野球にいくよ。プロに入ってかあちゃんを楽にさせるから」と言いました。すると一度も怒ったことのない母が初めて「何を言う。とうちゃんの言葉を忘れたのか。六大学一の打者になってから富士山のような打者になるのではないか。2度と言うな」としかりました。
その日から練習の虫になり、豆が潰れるまで素振りをする。ノックを受ける。野球漬けで六大学一の打者となり、プロ野球へ進んでいきました。

私は阪神の村山さんに魅力を感じていました。直球とフォークボール二種類を投げて関西六大学のエースとなりました。当然、巨人からスカウトにきます。すると「僕は阪神にいきます。長嶋と勝負がしたいのです。僕の直球とフォークボールがどれだけ通用するか試してみたいのです。お金じゃないのです」長嶋の契約金1800万円に対し村山の契約金は500万円でした。もともとフォークボールは投げていたが、さらに落差をつけるため、変化を自在にするため、人差し指と中指との間の水掻き部分を小刀で切ってさらに指を大きく広げられるようにしたそうです。

子供の頃、天覧試合での長嶋・村山の録画シーンが流れていました。そして村山は「あれはファールだ」と主張していましたね。それでは、山田雅人「かたり」の世界 長嶋茂雄物語の開演です。昭和34年6月25日、後楽園球場、昭和天皇の最初で最後の天覧試合、阪神の先発は、村山ではなく小山正明さんでした。一人だけ阪神のベンチで巨人を応援している選手がいました。

「誰だ、小山が打たれたのに手を叩いているのは」と監督が怒鳴ります。もちろん、全員が犯人は村山だと知っていました。打たれろ、打たれろ、小山打たれろ、自分が投げたいから。七回裏、王さんが同点ツーランを放ちます。またベンチのトイレから拍手が聞こえ、今度はグラブをもって出てきました。「そんなに投げたいか。しょうがない。村山いけ」

三振、三振と打ち取っていく。
9時10分、天皇があと5分で帰られる。テレビ中継が終わってしまう。そこで登場したのが長嶋です。
ツーストライク・ワンボールと追い込まれました。ここで村山が伝家の宝刀、フォークボールを外角低めにストンと落とした。キャッチャーは三振だと思ったが、長嶋は審判よりも先に「ボール」と叫びます。すると審判は長嶋につられるように「ボール」と宣告。
キャッチャーがマウンドに走っていきます。「もう一球、同じ球でいこう。今度は、わしが長嶋より先にストライクと叫んだる」「そんな問題やない。長嶋は天才。同じ球を二球続けたら絶対にあかん。一球、長嶋の顔面に向かって直球を投げてのけぞらす。ツー・スリーにしてから、今のフォークで勝負したい」

村山は顔面近くめがけて豪速球を投げ込みました。普通のバッターなら思わずのけぞるのに長嶋は避けない。長嶋は「これは村山のボールと思うから怖いんだ。母ちゃんのボールだ。母ちゃん見ていてくれよ」と思った。
左肩が開く。バットのヘッドを遅らす。
ボールが当たると右ひじを伸ばす。
ボールはなんと弾丸ライナーでレフトポール際に飛んでいった。
ファールかホームランか、ホームランかファールか。どっちだぁ。
入った、サヨナラホームラン。
ピッチャー村山は呆然としていました。
長嶋は一塁ベースを回り、空を見上げました。
「父さん、俺、富士山のようなバッターになれたかなぁ」と心の中で言いました。
「茂雄、見事な富士山だよ」と父の声が聞こえたのです。

NHK37%、日本テレビ53%の視聴率でした。
この一本のホームランが人気がなかったプロ野球をいっきに日本一のレジャーに押し上げていきました。

おまけ 長嶋・松井の師弟物語

長嶋監督就任の記者会見で「まず何がしたいですか」と聞かれ、まだドラフト前であったにも関わらず「松井君を育ててみたい」とコメントしていました。
そしたら、ドラフト会議で松井のくじを引き当てました。次の日、アポイントも電話もなしに花束を持って松井宅へピンポン。お父さんがドアを開けたら長嶋です。
松井君にはいきなり「共に汗を流して巨人の星になろう」と書いた色紙を見せて「とにかく入ろう、一緒にやろう」と言った。
「入ろうって、どうしたらいいでしょうか」
「とにかく君は巨人に入ってセンターを守るのだ」
「ぼくサードです」
「君は日本のジョー・ディマジオになるんだ。センターで4番だ」

10年たって松井は大リーグに行こうとする。長嶋は松井を止めた。「日本の野球界をどうするんだ。日本の子供達をどうするんだ」「大リーグに行くのではない。ヤンキースに行くのです。子供達に夢を与えている選手。監督が言っていたジョー・ディマジオになりに行くのです」それを聞いて「行ってきなさい」

師匠が言ったことを胸に刻んで、それを10年かけて学んで、師匠に実はこうなんですと言えるのが松井なんです。長嶋さん自身も若い頃に憧れの大リーグでプレーしたいと思っていたその夢を松井に託したともいえます。

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