院長ブログ

アンパンマン 子供から大人まで、みんなのヒーロー

投稿日:2015.11.14
本名 柳瀬 嵩
1919年 高知県生まれ
1939年 現、千葉大工学部卒
1941年 徴兵
1947年 三越百貨店宣伝部入社(デザイナー)
1953年 漫画家として独立
1973年 最初の絵本「あんぱんまん」刊行(54歳)
1988年 「アンパンマン」のアニメ化(69歳)
2009年 キャラクター数1768でギネス認定
2013年 死去

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やなせさんはアンパンマンについて「スーパーマンのようなヒーローではないんです。みんなに顔をちぎって食べさせてあげると自分の力はパワーダウンしてしまってヘナヘナとなってしまいます。非常にボロボロになって格好悪さを見せるヒーローです。敵を倒す武器もはでな必殺技も持たない不格好なヒーローであります。」
と熱く語っています。
やなせさんの長い人生の集大成みたいな、いつも心の中で思っていたことをアンパンマンに託していると思われます。
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人生はつらいわかれのくり返しでした。5歳の時に父が病死し、弟は伯父の養子になった。7歳の時、母親は再婚し、その伯父に引きとられることになりました。弟は伯父と伯母にはさまれて奥座敷で寝、自分は書生部屋で寝るという暮らしでした。世話になっているという思いがどこかにあり、胸がつぶれるほどさびしかったこともありました。
中学卒業文集に、「新しい母親と言い争って死ぬ積りで山をさまよったことがある。子供のくせに孤独を愛し、夕日の紅さや草にそよぐ風に涙ぐんでいる陰気な性質の少年であった」と書かれています。実の母親にすてられたという思いから自分は価値のない人間なのではないかと悩んでいたようです。
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また、高校時代の印象に残った出来事をイラストに書いていました。写生していると通りすがりの品のいい奥さんに「本当に絵がおじょうずなこと」とほめられた時のうれしい記憶。
生きていくためにすがったのがマンガや詩の生活の世界なのでしょうね。
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もう1つの大きな実体験、それは戦争です。
弟は海軍の特攻隊、回転に志願して、フィリピン沖で輸送船とともに撃沈されました。
やなせさんは24歳で徴兵(日中戦争)されました。上層部の命令によってふりまわされる軍隊の理不尽さ!戦況は著しく不利であり、極度の食料不足から魚を釣ったり野草を食べた強烈な飢えの記憶!さらに茫然としたのは、戦ってきた意義が逆転したことでした!日本は苦しんでいる中国の民衆を助けるために戦うのだと聞かされていたのに、戦後は一変して、日本軍は中国を侵略したとなったのです。正義は逆転する!
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戦争は一種の狂気であり、人をおかしくします。
どんなに善良な人も、戦場で敵に銃を向けられたら、身を守るために撃たなければならなくなります。こうして人殺しや残虐行為など、時には考えられないこともやらなければならないと思うようになってしまうのです。
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逆転しない正義はあるのだろうか?
ある!
それは献身と愛、弱者を助けることです!
周囲に困った人がいれば手をさし伸べる愛と献身こそ、正義なのです。
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自分が飢える経験をして、飢えがどんなにつらいか、よくわかった。
正義を行おうとすれば、自分も深く傷つくものだ。そういう捨て身、献身の心なくして、正義は決して行えない。
正義のために、飢えた人のところまで空を飛んで行って、自分の顔をちぎって食べさせる。だが、そうすることでアンパンマンはエネルギーを失って失速する。こういうカッコ悪い正義の味方を描きたい思いからアンパンマンは誕生したのです。
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1969年 十二の真珠
小太りの中年男で大人向けに書かれたものでした。
1973年 飛べ!アンパンマン
顔がアンパンでできたなぞの超人、全く注目されなかった。
1988年(69歳)最初に書いて20年近くたち、ヒットします。
大人達が見向きもしないなか、アンパンマンの魅力に気づいたのは小さな子供達でした。たとえ弱くても誰かのために戦うやさしいヒーローを受け入れたのです。
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やなせさんが晩年くり返していた言葉
「一寸先は闇でも、その一寸先には光がある。」
やることなすこと、すべて思いどおりにいかない時、ともすれば、私たちはすてばちになりがちだ。
でも、そこでちょっと踏みこたえてほしいのです。
それまでが悪くても、ある日、状況が変わってよくなることがあります。
がんばっていれば、その希望で力づけられ、さらに先へと進んでいけるはずだ。
いつも前を見て、倒れる時も前の方に倒れると聞きました。
そんな生き方を理想に生きていたのですね。
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92歳をすぎ体力が衰え、すべての創作活動から身を引こうとしていました。
ところが、東日本大震災直後からラジオ局にはアンパンマンの主題歌にリクエストが殺到、子供達を励ましていると聞き、死ぬまで現役だと引退を撤回しました。
まだ4歳なので少しでも安心できるようにリクエストします。ところが、子供達を励ます歌に勇気づけられたのはむしろ大人達でした。
命を語るエネルギーを感じます
涙が止まりませんでした
こんなに心にしみるとは

022そうか、ぼくにできることは、心に傷を負った子供達を元気づけ、励ますことなんだ!
この大災害はお金では解決しない。被災地の人を励ましたい。
すぐに被災地に激励ポスターを送りました。
明るい希望をこめてデザインされた真赤な背景と太陽
そして斜めに大きくいれられたのはアンパンマンの主題歌のことば
ああアンパンマンやさしい君はいけみんなの夢まもるため
023震災後も入退院をくり返していました。2013年には、劇場版アニメ「それいけ!アンパンマン とばせ!希望のハンカチ」の初日舞台あいさつに姿を見せました。舞台上で自作曲を歌い、最新作をアピールしました。
「死ぬ時は死ぬんだよ。笑いながら死ぬんだよ。そうすれば映画の宣伝になる。死ぬまで一生懸命やるんだよ」

おまけ①

1.やなせさんによりますと「てのひらを太陽に」の歌詞の「生きているから悲しいんだ」が「生きているからうれしいんだ」よりも先にきているのは、死んでしまえば悲しいという感情もない。悲しみがあるからはじめてうれしさがある。人生は悲喜こもごもだが、喜悲こもごもとは言わない。影がなければ光はない。だから「悲しいんだ」が先に出てくるのだという。
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2.「運は自分で拓くもの」人生は「運・鈍・根」
「運は自分が呼び込むもの」つまり、運は天が定めたものではなく自力で動かすものなのです。
運をつかむには、自分のやりたいことをずっと継続して、やめないことだ。「継続は力なり」という。同時に「継続は運」なのだ。
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3.津波に襲われながら泳いで脱出できた人もいるし、3日間冷たい海を漂流していて助かった人もいる。焦土となった土の中からも新しい草は生えてくるし、枯れたと思った木にも花が咲くのだ。絶望の隣には希望があり、一寸先は闇でもその一寸先は光だ。だからやなせさんの歌には「生きる」という言葉が多くなったのです。
今日一日生きて仕事ができたなら、明日も生きてみよう。生命のある限りは仕事をする。やがて天命が尽きる。それでも作った歌やアンパンマンは生き残るかもしれない。それがこの世に生きたという証明になる。
なんのために生まれて何をして生きたのかという問いかけに対するやなせさんの人生の答案です。
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4.NHKスペシャル「みんなの夢まもるため」の放送の中で、ポスターやハンカチの画像がありました。多賀城市役所(宮城県)に問い合わせましたが、写真の入手不可で困ってましたところ、ヤマニ醤油の新沼幸子様の御好意で、実現する運びとなりました。心から御礼を申し上げます!

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