顔や歯が語る日本人のルーツ
投稿日:2015.07.09
加古川・高砂市のツトウ歯科医院です。ブログを見て頂き、ありがとうございます。
日本人の歯とそのルーツ
金澤英作 日本歯科医師会雑誌 Vol65 NO.7 NO.8 2012
アジア人の歯を特徴づけるものとして埴原和郎が提唱したモンゴロイド・デンタル・コンプレックスを受け継ぎ、それをさらに発展・細分化させて
スンダドントと
シノドントという2つのタイプの歯形質群を想定し、これをもとにアジアからアメリカ大陸にわたる壮大な民族形成史にまで展開したのが、アメリカ・アリゾナ大学のターナーでありました。
(スンダは東南アジアからインドネシアにかけての海水位が低い時代に存在したスンダ大陸棚に由来します。一方、シノは中国を意味します。ドントは歯列と訳されることが多いです。)
日本列島には歴史上、旧石器時代、縄文人、弥生人という異なる集団が住んできて、それが大なり小なり混血して日本人という一つの遺伝集団を形成しいると考えられています。
縄文人の歯(東南アジアから来た可能性があると考えられます) ・比較的小さい
・咬耗(磨り減った歯)が歯列全体に多い
・鉗子状咬合(上下の歯が完全にぶつかり合う、鉗子とはものをはさむのに使う外科手術の道具である)
縄文顔 ・丸ないし四角っぽい輪郭(大頭)
・大きな目、二重まぶた、濃いめの眉毛
・やや幅の広い鼻
・豊かな耳たぶ
弥生人の歯(中国のモンゴルなど北東アジア) ・非常に大きい
・シャベル型切歯(上の前歯は裏側のくぼみが大)
・奥歯の歯冠のでこぼこが大
・鋏状咬合(上の歯が下の歯の前にかぶさる、ハサミのように歯が前後に重なる構造)
弥生顔 ・面長、平坦なのっぺり顔
・細い目、一重まぶた
・幅の狭い鼻、薄い眉毛
・小さな耳たぶ
17の歯のノンメトリック形質の頻度をもとに、スミスのMMDという統計値を求め、それを2次元座標に展開したもの
埴原和郎(東大人類学教室教授)著、日本人の顔、講談社より引用 およそ12000年から2300年ほど前の縄文時代に生きていた人は、旧石器時代の港川人たちよりやや新しい
日本人の祖先と考えられ、縄文人の祖先も、もともとは
東南アジア系の集団だったという可能性が高いのです。
比較的平穏だった縄文時代に比べ弥生時代は激動の時代でした。
この時代には水稲耕作や金属器に代表される大陸の先進文化が日本に流入し、採集、狩猟を中心とした縄文文化が一挙に農耕中心の弥生文化に変貌したのです。
人骨の形から見ると弥生時代から現代に至るまで、日本人は2つのグループに分けられます。
一つは縄文時の特徴を比較的残すグループ、他は弥生時代以降の渡来系と思われるグループです。では渡来系のグループはどこからやってきたのでしょうか。中国の中南部ではなく中国北部やモンゴル地方を含む
北東アジアという可能性が高いです。
稲作技術と農業社会をもたらした弥生人は九州北部や山口県から次第にテリトリーを広げ、在来の縄文人と混血しながら次第に東進していきました。
縄文人と縄文文化の上に弥生人と弥生文化が重なりその後の日本人と日本文化が成立したという日本人の起源の
二重構造説がここから始まるのです。
さまざまな統計法で分析しますと次のような傾向がみえてきます。
1.全体として東日本と西日本の差が大きく西日本では渡来系弥生人、東日本では縄文系弥生人の特徴を持つ
2.九州に限っていえば北部と南部の差が強く北部の集団は渡来系、南部の集団は縄文系の特徴を持つ
3.北部九州から近畿地方にかけての地域では特に渡来系の特徴が濃厚にみられるがこれより遠ざかるにつれて縄文系の特徴が優勢になる。
まず渡来人が北部九州から徐々に東に向かって拡散しその中心が近畿地方に移ったこと、渡来系集団と縄文系集団との混血が進んだこと、そしてとくに南部九州と東北地方では両者の混血が極めて少なかったことです。
松村博文博士(国立科学博物館)によると歯の特徴からの推定で日本人は縄文系3、渡来系7くらいの割合で混血したらしい。
埴原和郎氏も渡来系の要素が強いことは間違いないと思っています。
おまけ①歯と口の健康週間イベント
主催:須磨海浜水族園×兵庫県歯科医師会
イルカのおくち健康チェック
トークライブ
おまけ②イルカとのふれあい 昨年のお盆の頃(要予約)
国際組織「世界動物園水族館協会WAZA」は日本の水族館が太地町の追い込み漁で捕獲されたイルカを入手し展示していることを問題視しました。今後はどうなるのでしょうか。
おまけ③健康だより
画像をクリックすると拡大します。
おまけ④藤木相元
過去のブログをご覧になりたい方は
2013年3月8日 占・運勢をクリックしてください。
顔相に関心を持ち約10年前に新宿の億ション(?)におじゃましました。