日本人メジャーリーガー20年史
投稿日:2015.06.09
加古川・高砂市のツトウ歯科医院です。ブログを見て頂き、ありがとうございます。
1964年に村上雅則は日本人として第一号のメジャーデビューを果たしましたが、日米球団間での保有権を巡って激しく対立し、日米関係は冷え込みました。それから30年の歳月が過ぎました。
1995年、野茂英雄は近鉄球団と全面対決、日本球界やメディアからの逆風を受けながら渡米しました。
「日本人のレベルはこんなものか」と思われるのがいやで、その強烈な思いが新人王に輝く一年目のセンセーショナルな活躍をもたらし、2度のノーヒッターという快挙を達成させました。
この20年で日本人メジャーリーガーは通算50人を越えました。
日本人選手達は多くの記録を残しており、その主な足跡をデーターで検証してみます。
イチロー
2004年 262安打 歴代MLBシーズン安打記録1位
年間MVP1回、首位打者2回、盗塁王1回、ゴールドクラブ賞10回
ダルビッシュ
シーズン奪三振記録は歴代4位
上原浩治
2013年 0.57 歴代MLBシーズンWHIPランキング1位
投手の安定感を示す数値で一イニングあたりに何人の走者を出したかを示す
佐々木主浩
2000年 新人王
129セーブ マリナーズ歴代通算セーブランキング1位
長谷川滋利
517 MLB日本人投手・通算登板数ランキング1位
野茂英雄
1995年 新人王
8.73 歴代MLB通算奪三振率ランキング8位
2度のノーヒッター
松井秀喜
2003年 インターリーグ首位打者
2009年 ワールドシリーズMVP
<日米球界の技術、文化、育成の差> (1)
メジャーで日本人打者は長打が打てない! (スラッガー2015年7月号を参考)
メジャーで800打席以上立った10人の日本人打者の本塁打率は、日本時代と比べ
平均48%まで減少しています。
松井の渡米直前の3年間は500打数あたり44本、ヤンキーズでの最初の3年は19.1本で、総計通り半分以下に減少しています。
2006年の井口資仁と城島健司で18本と少ない。
・一番の理由は投手レベルの違い
日本より飛ばないボールでパワーのある投手がガンガン速球を投げ込んでくることに加え、カッターやツーシーム系の微妙に動くボールでゴロを打たせようとする。こうした球を跳ね返すには
かなりのパワーが必要となります。
城島は「日本人選手は今以上にウェイトトレーニングする必要がある」と主張しています。
・日本球界のスモールボール祟拝も大きな理由
ノーアウト一塁でバンドをしたり、右打ちで走者を進めるバッティングをしたりしています。
小柄で非力な反面、細かい仕事を器用に着実にこなす日本人の国民性に適合しているからでしょう。
リトルリーグの頃からチームバッティングを叩き込まれ、甲子園を目指してバントを多用していては、
バットを強く振る習慣が身につかず、スラッガーが生まれにくくなるのは当たり前ですよね。
(2)
メジャーで日本人内野手の成功例が少ない! (Number877を参考)
最も多いのは投手で、内野で成功していると思われるのは松井稼頭央、井口資仁、岩村明憲の3人ぐらいでしょう。
・グラウンドが堅いので打球の質が日本と違います。(田口壮)
その打球をどう捕って、どう投げるか。
日本野球では、まず打球の正面に入って両手で捕れと指導されます。
そのために一歩余計にステップを踏みます。そうして投げないと肩の強さに限界があるのでなかなか塁に届かないのです。ところがメジャーでは、
バックハンドいわゆる逆シングルで捕ってそのまま投げるのです。
・「
左足のつま先は一塁方向に」メジャーで知った守備の鉄則(岩村明憲)
ゲッツーのベースに入る時には必ず左足だけはつま先を一塁方向に向けて入れよと教えられます。一塁から走ってきた走者に足を削られた時に、膝を折って衝撃を和らげることができるのです。
つま先を横に向けてベースに入れば、足がもろに衝撃を受けて骨折などの傷につながるということです。
西岡(現、阪神)も併殺の際に走者を避けずに一塁への送球をしようと踏んばった際にスライディングを受けて左足腓骨を骨折しました。
おまけ 黒田博樹 メジャー21億円オファーを蹴り、優勝させたいと広島復帰
週刊現代(4/18)で投球動作の分析を図解入りで詳しく説明されていました。
下半身の筋力が充実しているため、体重が左足に移る瞬間まで右足側面が地面についたままの驚異的な軸足(右)の粘りで背中を向け続ける動きができ、
球の出所が見えにくくなります。また、ツーシームを自由自在に使いこなせ、ストレートと同じ投げ方をしているため、打者が
球種を見極めるのが難しいのです。
すごいのは「
フロントドア」といわれるように、ストレートと思ったボールがツーシームで左打者にとってはインコースのボールゾーンからストライクゾーンへと変化させる投球術です。
男気旋風で大人気 ・前日の試合で、自軍の主砲の背中をねらわれたのが死球にはならなかった(宣戦布告)
自軍の投手が報復しなかったことでメディアは彼を非難する。
当日の試合で自軍の選手が死球を受ける。それでチームの雰囲気がお前やれという空気で仕方なしにバッターの頭に向けてぶん投げた(敵討ちの一球)
・2014年9月25日の本拠地最終戦で、ファンは好投した黒田に感謝し大歓声をあげていました。ジラルディ監督は「観客に帽子を取ってあいさつしたら」と言ったところ、ジーターの最終試合であり心から功績を讃える気持ちがあったから「今日の主役は僕じゃない」と遠慮した。監督は黒田には本当に感動させられたと述べています。
・頭部への打球や、打者であればデッドボールなどで野球生命を断たれてしまう選手は少なくない。
打球が黒田の頭部に直撃、悶絶、ファンも絶句
黒田の最初に発した言葉は「打球は誰か捕りましたか?」だったという。これが本物のプロ
いつの試合でも選手生命が終わってもいい、マウンドは戦場だと思っている。
4月25日、内角を続けて攻められて転んだ黒田は立ち上がると声を荒らげてマウンドに歩み寄ると、藤浪は頬を引きつらせて帽子を取る。
「相手がバントさせないように投げてくるのは当然でしょう。でもああいう球が2球続いて、ぼくがヘラヘラしていたら、チームの士気に影響する。
戦う姿勢を見せないといけない」と黒田は振り返った。
「あんなことがあったあと、黒田はしっかり進塁打を打っている。その姿を野手たちが見ていたことが重要だった」と緒方も言った。
黒田と同じ復帰組の新井貴浩(前、阪神タイガース)が、この試合から4番に定着したことも見逃せない。
この間のラジオ放送ですが、新井が第一ストライクをホームランしたとか・・・
阪神時代は第一ストライクは必ず見逃していたというではないか!