院長ブログ

漫画の神様・手塚治虫 1928年11/3?1989年2/9

投稿日:2015.04.28
私が子供の頃のテレビアニメといえば「鉄腕アトム(最高視聴率40%以上)」です。人によっては「ウルトラマン」「仮面ライダー」「サリーちゃん」「ひみつのアッコちゃん」でしょうか…
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存命中から「漫画の神様」と呼ばれ、生涯に約15万枚の原稿を執筆した手塚治虫さんは、それまで子供の娯楽にすぎなかったマンガを文化の域へと成長させた巨人であります。永遠の生命力に執着する人間の姿を描いた「火の鳥」、人間の生と死をテーマに釈迦の伝記をフィクションにした「ブッタ」、無免許の天才外科医が主人公の「ブラックジャック」など数多くの作品を描きあげてきました。
すでに何人かの有名人の生きざまをブログ化してきましたが、今回は手塚治虫さんです。書籍や3/20林先生の痛快!(生きざま大辞典)を参考にしています。
つつ

<神様といわれる理由>
(1)漫画の文法を普及させたこと
映画のようなカット割り

アニメの部分

(2)アシスタント制度
現在ではあたりまえの複数のアシスタントと共に作品を仕上げるシステムも手塚さんが始めました。表紙マンガ

<手塚作品は今もなお人々を魅了し続けています漫画を通して伝えたかったメッセージとは?>
(1)鉄人伝説
20ページのうち19ページまで完成していたブラックジャックの話を数人の編集者に珍しく本気で相談しました。内容的に十分完成されていて、締め切りはとうに過ぎていて夜中の12時、すぐにでも原稿を持っていかないといけない状況でした。何人かは「おもしろい」と言いましたが、空気を読めない一人が、「いまいちですね」と答えたのです。IMG
すると「8時間ください」と言って一から全部全く別の話に描きかえました。手の遅い漫画家なら1週間かかることもあるらしいですが、手塚さんは毎日20ページを描いていたらしい。8時間で20ページはありえない話ですが、それでも朝までに作品ができあがったのは驚きですね。自分が納得した作品でなければ読者に読んでほしくない。矜持と妥協しないこだわりがあるのですね。おそらく頭の中では20ページの原稿がまるで映画のフィルムのようにハッキリと浮かんでいるのでしょう…

(2)心を震わせる手塚作品

「ときには真珠のように」(シリーズ全体を貫いているテーマの凝縮作品)
「わしのところへ運び込まれたきみはめちゃくちゃだった
だれも もう 死ぬと思うとった
わしは できるだけのことをやってみることにした
そしてきみは 奇跡的に命をとりとめたのだ。」
「ええそうです そして私は 医者とはなんてすばらしい人間だと思いました そして先生のような医者に なろうと決心したんです。」

果たして生死を自由にすることは人間に許されているのでしょうか。それは、神というものがもし存在するのなら、神の領域を侵すことになるのではないか。同じ問いをブラックジャックは何度も繰り返しながら、それでも患者の命を救うために全身全霊でオペにのぞみます。
恩師である本間先生が老衰で死を目前にして脳軟化症と脳出血…
必死でオペを行いますが、ブラックジャックをしても、自分の恩師を救うことができませんでした。

人間が生きるものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね…

医学がいくら進歩したところで、医者がどれだけがんばっても人間が生き死にを自由にする、それは限界があります。その限界をふまえたなかで、人間は医学を進歩させていろんなことでがんばるけれど…ダウンロード (1)

「覚悟」を要求するシーンが多いですね
「悲鳴」
ああしておどかさなければあんなに真剣にならなかった
私は死にものぐるいで治そうとする患者が好きでね

医者にかかれば治るのが当然ではなく患者も必死にならなければダメ。
医者は治して当然、さぁサッサと薬をだして下さいみたいな人が一部いますが、治す方が真剣にならなかったら本当に治るものも治らなくなってしまう。

「落しもの」
なぜ先生はあんなに高く請求なさるのです、メチャクチャだ。
そりゃ、あんたが死ぬほどの苦しみをしていないからですよ。

患者は死ぬ思いをしている。で、なんとか病気を治して生きのびたいと思う。
医療というものはそういう覚悟があって意味あるものだ。

なぜ手塚作品は多くの人の心を掴むのでしょうか?
漫画を通して伝えたいメッセージとして覚悟というものを読みとれます。
いろんなトラブルや事件がおきるなかで、人がどうやって向き合っていくのか。
そこでの生き方、人として生きる意味を読者に問いかけています。
鉄腕アトムは単なるファンタジーだけではありません。
ベースに人は何のために生きるのか、人としてどう生きるのかを読者に訴えています。3ショット

 
 
 
(3)手塚治虫さんの原点

バックグランドに大きな影響を与えたのは大阪大空襲に遭遇し、九死に一生を得た戦争体験と思われます。
頭上で焼夷弾が落下され、目の前でヒューンと落ちてくるのを見、数メートルのところで自分の命が奪われるところでした。
だけど自分は生きている。
そういう経験を持っているかどうかは人間を大きく変えてしまうのではないか。
自分たちの価値観が全部ひっくり返されるような荒っぽいところを自分でくぐり抜けてきた人間、ぺしゃんとやられそこから立ち上がってきた人と、そういうものを知らない人間とは力の強さの差がありますよね。アトムとつとうさん

ある書籍で、手塚さんは仕事をどんどん引き受けるとか読んだことがあります。
うらには、自分は出来るという自信があったようです。
その出来るという自信を一番与えてくれたものはいったい何だと考えた時に
お母さんの存在が浮かんでくるのです。
妹さんの証言によりますと、母はとても大切に育てた兄でしたし、妹からみて兄はお母さんが大事に育てていたと感じていたようです。

医学部にいきながら漫画も描いている時に、母に、
「東京に行ってマンガを描きたい。でも、宝塚に残って、医者にもなりたい」と言いました。
母は「ほんとうに好きなのはどちら?」と聞きます。
「ほんとうはマンガが好き」と答えると、
「あんたがそんなに好きなのなら、東京へ行ってマンガ家になりなさい」

この言葉が手塚さんを支えたというのは小さい頃からお母さんが大事にしてくれた、好きなことをやればいいのよというふうに自己肯定できる精神性を優しく培ってくれたからでしょう。
手塚さんはそれをそのまま受けとって成長されて、進路選択の時にお母さんの言葉を一番の支えとし漫画家になり、ずっとやってきたんだ
自分はできる人間なんだ、自分は肯定されているのだ、
戦争で生きのこり、生きていいのだ、という原点なのでしょう

建物手塚治虫記念館
0797-81-2970
阪急「宝塚南口」駅より徒歩5分
休館日  水曜日
開館時間 AM9:30-PM5:00

 

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