院長ブログ

浅田真央 集大成の歩み

投稿日:2014.03.13
感動して思わず涙、涙、涙

興奮さめあがらぬ間にブログにしました。

真央が5歳の時、姉の舞さん(7歳)の方が天才肌。
「なんで舞ばかりで真央は見てくれないの」幼い少女はいつもヤキモチを焼いた。
褒めてもらいたくて小さな体で大きな関心を寄せるように跳び続けた。

母親の匡子さんは、自分のバレエの経験を基に独学で競技を学び、時にはコーチとして真央に助言した。素人が何を、という批判にも立ち向かい、絶対世界一になると娘の可能性を信じていた。また、真央も母の思いに応えようと必死に競技に打ち込んだ。

世界選手権(2008年)で優勝しましたが、この年のトリプルアクセルを成功させたのは6回中の3回でありました。世界中のライバル達はトリプルアクセルを回避して、コンビネーションで得点をかせぐ方法が主流となります。単発のジャンプとして一番の高得点ですがリスクも高いからです。
身長が1cmのびただけで体のバランスは変わります。
腕の振り方やジャンプの角度などあらゆるところに影響がでてきます。成長期をうまく乗り越えるのは本当に難しく耐えるしかありません。苦しみの中トリプルアクセルにこだわり続け、練習しても成功率は上向きませんでした。

2009年のGPシリーズ、ロシア大会で5位
真央は大スランプにおちいりました。
跳んでも跳んでもうまくいきません。どうしてもうまくいかない。
とうとう真央が「もう、みんな出ていって」とさけびました。
姉の舞さんだけは真央からはなれず、絶望のふちから救えるには自分しかないと考え、、、、「もう今まで、何万回、何千回と跳んでいるんだから、急に本当に一日で跳べないってなることなんて無いよって」大号泣してよれよれになっていても、真央はすぐ練習が不安だからやりたいって言って泣きながらやっているんですけど。泣きながらやって絶対に出来ないですよ。だから今日はとりあえず帰って、明日からもう一回頑張ろうという感じでした。
翌日、奇跡がおこりました。跳んだのです。真央に笑顔がかえってきました。

バンクーバー五輪(2010年)は2位
バンクーバー直後、母は自分の病の重さを知り、娘の将来を考え「私は引退」と口にし、きっぱりと娘から離れた。今ではさきまわりしましたが、これからは真央が自分で考えて自分で決める形です。

母は佐藤コーチに「どうか真央を頼みます。何とかしてやって下さい」と何度も足を運び、母親の熱意と情熱に根負けして引き受けた。

ジャンプを変えたい。スケーティングの大改造です。
すべりの技術、すべり方の基礎を一から見直すという取り組み。それをしなければ、自分が理想とする演技ができないと考えていました。佐藤コーチと共に追い求めたのはすべりのスピードとなめらかさでした。かつてのすべり方では、ジャンプの前後で動きが止まり、曲との調和が途切れていました。そのマイナスが採点にも反映されました。

GOE(技の出来栄え)    キム・ヨナ:12.00    真央:2.72
真央がスケートを始めて15年以上、身にしみついた技術をすて新しいものを手に入れる。
20歳をすぎて、それを成功させるのは至難の業!
しかし、真央はそのことを決めました。

2010年GPシリーズ NHK杯で8位
トリプルアクセルはショートもフリ-も失敗に終わりました。

母の精密検査で生体肝移植なら治る可能性があると聞くと「一年休んでもいい」と申し出た。母の命に勝るものはなかったが、母の言葉は「みんなそれぞれやっていることをいつも通りに、一生懸命頑張ってほしい」であった。

2013年3月 世界選手権で6位
全く自分の力を出し切ることが出来ませんでした。
真央は佐藤コーチに「今はスケートをやりたいという気持ちにはなりません」と・・・・
やる活力とか気力というのを一気に失った感じで、氷ついてしまった。
真央の心、リンクをはなれます。

お母さんとの別れから6ケ月過ぎた頃、競技はもう無理、でもショーならできるかもと思ってました。
アイスショーの振り付けをするためにカナダのローリーさんを訪れました。ローリーさんは、真央の心の傷の深さを読みって、どうすれば助けられるのか心の底から悩み続けました。
ローリーさんの自宅で、ローリー家族や姉と一緒にカヌーやテニスをして遊びました。
やらなきゃいけないことなんて何もなく、やりたいことができたらそれをする。
そんな時間。 スケートを忘れすごしたこのひと時は貴重な経験でした。
広い庭の散歩もしました。
聞こえてくる子鳥のさえずり、水の音、そよ風・・・
楽しい、生きることは素敵なこと!

マイガットリズム(ジョージ・ガーシェウィン作曲)
二人で選んだ曲、二人で振り付けを始めました。
やがて真央に変化のきざしが訪れます。
ショートプログラムを作りたい。
気持ちが前向きになった。
消えていた明かりがまたついたみたいに。

2013年2月四大陸選手権(22歳)リンクにもどってきました。
ローリーさんと作ったアイガットリズムで優勝
フィギアスケートは楽しい。真央はとりもどしたのです。

佐藤コーチは厳しい指導で知られ、頑固な真央と何度も対立してきた。
自分にしか跳べないトリプルアクセルに人一倍のこだわりを持ち、フリーで2度跳びたいと訴える。佐藤コーチは「コーチも妥協する。あなたも妥協しなさい」と説得し、1度だけ跳ぶことを認める代わりにトリプルアクセルを含む6種類の3回転ジャンプすべてを見せることを真央に指示した。

ソチオリンピック前日のSPで16位。
金メダルが絶望になる中で過ごした葛藤の時間。
あんなに練習したのにどうして……気持ちは迷路に迷い込んだ。
不安、緊張、重圧が波のように押し寄せる。
感情が消えたように抜け殻になっていた真央に「SPとフリーの得点割合を考えれば、まだ三分の二ある。気合を入れなさい!」と叱った。
そして、1980年に出場した松村充さんのエピソードを話し、最後に優しくこう付け足した。「頑張ろうと思えば頑張れる。真央に何かあっても私が駆けつける」と。

不安が吹き飛び、戦う意欲を取り戻す。
最後は自分を信じ、覚悟を決め、扉をこじ開けた。
達成感、充実感が真央の体を駆け巡った。
4年間やって良かった!お母さん辞めないで「いつも通り」滑り切ったよ。
「ママどうだった?」

姉の舞さんは、「真央はバンクーバー五輪で銀メダルをとりながらも、さらに上の技術と表現を目指し、努力し続けてきました。何度かくじけそうになった時もありましたが、いつも乗り越えて、さらに強く美しいアスリートとして成長し続けてきた」と思います。

アスリートの神髄は挑戦すること。
できないことをできるように努力し、乗り越え、立ち向かう姿があるからこそ、人の心が動くのだ。
エフゲニー・プルシェンコ選手(ロシア)
「君は真の闘士だ」と絶替
ミシュル・クワンさん(世界選手権を5度制した、米国)
「永遠に忘れられない演技」

舞さんのブログで「最後まで諦めずに頑張る姿は、メダルがなくても、こんなにもうれしくて特別な感情になれることを世界中に教えてくれた。感謝したい」とねぎらいのコメントを寄せた。

感動!感激!感謝!おつかれ様!
各種スポーツ新聞、一般の新聞、週刊誌、テレビ報道から引用しました。

おまけ① ありがとう浜村淳(毎日放送ラジオ)にとりあげられた週刊文春とFlashによりますと、佐藤コーチはスケート連盟幹部に「真央には精神的にもっとも落ち着ける中京大リンクで最終調整させてあげたい」と思いを伝えたが、連盟は数年前からアルメニアのリンクを確保しており両者間でもめにもめた。結局連盟に押し切られる形で渋々アルメニアに向かった。

この決断が最悪だった。アルメニアのリンクの氷には砂が混ざっている上にガタガタ。刃を研ぎなおす必要が迫られた。しかも空調設備が悪く非常に寒かった。
真央は最終調整どころか、調子を狂わせてソチ入りした。

連盟による「妨害」はこれだけではない。
連盟幹部たちは、高圧的で取材させてやっているんだという態度。
それは選手に対しても同様で、今回の男子代表選手にも勇気づける立場にあるはずなのに、心無い言葉を浴びせ、逆に追い込むようなことをしている。
女子選手に直接言わないにしても、そのコーチや関係者などに失礼なことを言うのは日常的。

選手をサポートする立場なのに、彼らはそれをせずに選手村で頻繁に酒盛り。
幹部は10数名来ているが遊びに来ているのと同じ。かれらの遠征費は、浅田らの広告料から多くがでているが、そのお金で我が世の春を謳歌しているにほかならない。

おまけ② スケート連盟は真央の引退を引き留めようと必死なんです。
男子では高橋大輔が引退し、真央までがいなくなれば、当然注目度が下がります。真央の集客力は抜群ですがこれ以上、客寄せパンダように生きることを
望むのは、あまりに酷ではないか? 本人は、会見でハーフ、ハーフと言ってました。
真央の究極は母との約束のメダル(金)なので挑戦を選ぶかもしれませんが、荒川静香さんのようにプロスケーターになり演技を続ける道もあります。
私個人としては、青春時代を犠牲にして、毎日毎日何時間もスケートにすべてを捧げきたのだから、そろそろゆっくりされてもいいのではと考えています。野球選手の引退もそうですが、「まだやれるのにとおしまれる」か「ボロボロまで自分が納得するまでやる」と迷うみたいですね。

おまけ③ 森元首相
「見事にひっくり返りました。あの子、大事なときには必ず転ぶ」

浅田真央
「終わったことなので、今は何とも思っていません」と一度はかわしたが、
再度同じ質問を促すと「私も人間なので失敗することはあります。でも、失敗したくて失敗はしてないので、それはちょっと違う。でも森さんはそう思ったのかなと思いました。
森さんが発言してしまって少し後悔しているのではないでしょうか」

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