院長ブログ

ファン10万人がガチで投票!

投稿日:2018.08.31
加古川・高砂市のツトウ歯科医院です。ブログを見て頂き、ありがとうございます。

15位 板東英二(徳島商)60年以上破られていない奪三振記録、1試合25奪三振(延長18回)、1大会通算奪三振83個(1位)
14位 原辰徳(東海大相模)
13位 太田幸司(三沢)
12位 鈴木一郎(名古屋名電)
11位 斎藤佑樹(早稲田実業)夏の胸キュンプリンスランキング1位、都内百貨店ハンカチ売上300%増の経済効果、1大会通算奪三振78個(2位)
10位 ダルビッシュ有(東北)
09位 清宮幸太郎(早稲田実業)
08位 桑田真澄(PL学園)甲子園通算20勝3敗、防御率1.55、150奪三振、6本塁打(2位タイ)
07位 王貞治(早稲田実業)
06位 大谷翔平(花巻東)高校野球史上最速160km
05位 田中将大(駒大苫小牧)
04位 清原和博(PL学園)通算本塁打9本

03位 江川卓(作新学院)83715票

スピードガンがなかった時代でボールがホップする(浮く魔球
1972年(地方大会) 2回戦 ノーヒットノーラン
3回戦 完全試合
準々決勝 ノーヒットノーラン
準決勝 10回までノーヒット、11回サヨナラスクイズで負け
1973年(地方大会) 2回戦 4対0 ノーヒットノーラン
3回戦 2対0 ノーヒットノーラン
準々決勝 5対0
準決勝 6対0
決勝 2対0 ノーヒットノーラン
被安打2 奪三振75
真っ直ぐとカーブだけ
高めのボールをコースを狙わずに投げる
真ん中高めを投げれば誰も打てない
銚子商業と0対0の延長戦 雨が激しくなる
スピンをかけてストレートのキレを出す江川投手
ボールが滑ってしまう雨は最大の敵でした
12回裏 ワンアウト フルベース ツースリー
自らタイムをかけて野手をマウンドに集めた
真っ直ぐを力いっぱい投げてもいいか?
いいよ。お前がいたからここまでこれたんだから思いっきり投げろよ!
169球目、セットポジションではなく大きく振りかぶります
フォアボール 押し出し
高校時代・最高の球”の真意
始めて9人で野球をしたから(チームメイト証言)

02位 松坂大輔(横浜)86806票

三日連続で劇的なドラマを生み出した!
1998年にここまで3試合全て完投。前日148球投げていた。

準々決勝 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰
00022001001000012【横  浜?】
03010010001000010【P  L?】

(イ)序盤打たれた 試合は朝8時30分で4時間前に起きなければいけない。
なかなか寝れなくて2時間の睡眠で寝不足だった。
移動のバスでうっかり寝てしまい、起きた時、体がだるかったのだ。

(ロ)11回裏、同点打を浴び松坂はがっくりと肩を落とした その姿を見た渡辺監督の中で何かが弾けた。
12回表の円陣で鬼の形相で「何が何でも勝て!」と叱咤した。
選手たちはギリギリのところで戦っていたので、どこかで勝っても負けてもいいというような気持ちになりかけていた。 でも松阪がボロボロになりながら投げている姿を見ていたら、こういう戦いだからこそ絶対に勝たなくちゃいかんと思った。
この時は肩肘が壊れても腰が砕けても、勝利を得よというニュアンスをこめて言いました。
(ハ)延長17回 250球完投となる。 中学からの親友が打席に立つ前に「マツ、俺が打つから」と言ってホームランを打つ。
最後の守備につく時「常盤ありがとな」と声をかける。
さすがに疲れました。明日投げられないくらいの疲労度です。

準決勝、テーピングしてレフトで出場 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨
000131010【明徳義塾】
000000043【横  浜】

円陣を組んだ時、小山が「6点負けていて、これはPLに申し訳ないな」と言ったら松坂は「じゃあ俺1回ぐらい投げるわ」という話になりました。
2点差になって松坂がテーピングに手をかけた瞬間、球場が異様な雰囲気
オーオー、ボルテージが上がっていきました。
9回 マウンドへ上がり0点に抑え、その裏、劇的なサヨナラ勝ち。

決勝戦の相手は京都成章です。

8回 ファーボールを出した時、ベンチは伝令を送ります。
みんなが意識して言わなかったのに、ショートの佐藤が松阪に「ノーヒットノーランやっちゃえよ!
すると松阪は「何で言ちゃうんだよ!これで打たれたらお前のせい!
後からの証言によると話すネタがなかったからだそうです。
9回 最後のバッターはくそボールを拾った。しかし本人は内角に来たと思って振ったら曲がって、あそこにいくほどの鋭い変化球だった。

01位 松井秀喜(星稜)87583票

1992年、明徳義塾の馬淵監督は前日のミーティングで、4番松井と勝負しないで5番6番で勝負やられたらむこう(星稜)は一番たまらんね。
むこうは松井に勝負ができるような展開に常にしよるわけやから次のバッターが松井やったら歩かす。
松井でなかったら勝負するよ。という具合の余裕を持っていけ
全部ワシが責任とるから。

第1打席 ランナー三塁で敬遠
第2打席 ランナー二三塁で敬遠
第3打席 ランナー一塁で敬遠
第4打席 ランナー無しで敬遠
放送では甲子園球場に1つの問題を残して4敬遠です
第5打席 ランナー三塁で敬遠
放送ではここは勝負して欲しいですね
しません こんなのは初めてですね
甲子園球場にメガホンが投げられます
これは珍しい 高校野球でこれは初めてですね
せめて1回は勝負して欲しかったですね
今度は「帰れコール」になりました

試合後の馬淵監督の談話 試合前に松井君を見まして、ウチのピッチャーの球威では難しい。
清く勝負の手もありますけど、我々も高知県代表として負けるわけにはいかない。
戦法としては間違ってなかったと思う。 しかし、全打席敬遠という作戦を支持する人はほとんどいない。
学校へ非難の電話が殺到
退職願の辞表は撤回される。
馬淵監督は決意を新たにした。
勝つためにやらないと意味がない。 優勝することで、ああいう野球も野球なんやと世間に証明しよう。
1998年 優勝には届かず お前ら甲子園に来るなよ 5打席連続敬遠の傷跡 過去のイメージを払拭するためには優勝しかありません
日本一を目指す厳しい練習

2002年 智弁和歌山を破り念願の初優勝 帰れコールから10年、今は明徳の優勝にお客さんが拍手してくれている 松井がすごい選手になったから、あれはあれで正しかったんじゃないか???
その答えをもっていたのは松井選手だった。
当時の松井は、相手の作戦なんで自分は何も言えませんと相手を悪く言うことはなかった。
44歳になった松井が18歳の自分に送ったメッセージ バットを投げたり、変な球を振ったり、同情を買おうとする仕草とか怒りの感情―そういうことが見えないのでそこだけは褒めてあげたい。

プラカード

市立西宮高校のプラカード選考会
2年生132人、1年生100人の232人から今回の選考は57人でした。
音楽に合わせて姿勢良く歩く(プラカードを体の中心で持ち続けられるか)歩幅や歩く速度などが審査の基準となります。

ブラバン甲子園

日本中が知る「ファンファーレ:1959年」「ワッショイ:1972年」は天理高校のオリジナルだった!
相手に威圧感を与えるような重々しい曲調で、アルプススタンドが「ワッショイ!」の掛け声でひとつになる名応援曲です。

他のオリジナル応援歌として
前橋育英(群馬) RUN and GO 冴え渡る鉄琴とスーザ回し
元気よく自分たちの野球を楽しんでやってほしいという思いが込められている

龍谷大平安(京都) 怪しいボレロ 得点チャンスで選手たちを後押しします
バストロンボーンやユーフォニアム、チューバなどの重低音が相手側のアルプススタンドにまでズドンと響き、怪しさと怖さを醸し出します

大阪桐蔭 YOU are スラッガー 2012年 闘争心を掻き立てるようなメロディーラインを数回繰り返す、シンプルながらも印象に残る曲です

智弁学園和歌山 ジョックロック 高校野球ファンの間で「魔曲」と呼ばれ絶大な人気を誇ります

全国的に大流行している応援(昨年の出場校の半分が採用)

アゲアゲホイホイ(2014年、報徳の控え選手たちの思いつき)
ハイヤハイヤハイ、エッサーエッサーの掛け声から始まり
アゲアゲホイホイ
もっともっとー
SNSに上がっているアゲアゲホイホイの動画を見て採用校が増えています

ブラスバンド 甲子園応援曲ベスト3

01位 アフリカン・シンフォニー (African Symphony)
02位 ウィ・ウィル・ロック・ユー(We Will Rock You)
03位 サンバ・デ・ジャネイロ(Samba de Janeiro)

人文字

PL学園が印象的でしたね
今回は龍谷大平安のです

奇跡のスーパープレイが生んだ物語

1996年 熊本工VS松山商 10回裏 1アウト満塁
松山商の澤田監督は突然声が聞こえたという(亡き父)
ここを乗り切れなければ全て終わる。本当にそれでいいのか?
このままではダメだということで、控え選手を守備固めとしてライトを交代させる
直後、ライトフライをとって85mの大遠投で三塁ランナーをホームで刺す

監督では高嶋仁(智弁和歌山)の68勝が歴代最多勝です。
ここでは、相手の意表を突く巧みな采配で、次々と競合を破った木内マジックで有名な木内幸男(取手二→常総学院)監督についてです。
1984年 取手二対PL学園
(イ)木内伝説の一つとなった采配がある。 9回裏、同点に追いつかれた場面でのワンポイントリリーフであります
プロでもそんな起用法はほとんど見られなかった時代だ。
左の中継ぎを一枚はさみ、すかさずエースを戻すと清原を三振に切り取ったのだ!
(ロ)頭脳明晰な桑田が唯一理解できなかった試合なのです。 決勝戦なのに全員が笑顔で楽しむ超リラックスのびのび野球に桑田は戸惑っていました。
まだ試合が終わっていないのにお祭り騒ぎのように喜び抱き合ったりしている。
普通、三振したら悔しがるのに笑っている姿を見てマウンド上ですごく不気味に感じていました。
その秘密は2ヶ月前の練習試合にあった(取手二0対13PL)
選手たちは木内監督ともめていて1ヶ月間全く練習していなかったのです。
桑田の「これで茨城のナンバーワンチームですか」の一言で「2年の桑田何言ってんだよ。ふざけんじゃねーよ」と、また野球を始めたのでした。
後日、桑田は一人で大阪から茨城へ、取手二高の練習を視察しました。
衝撃的でしたよ。
PLよりはるかに劣る設備ながらものびのび野球を楽しむ球児たち。
その瞬間、桑田の野球哲学が大きく変わることになる。
それまで高校球児は寡黙にひたむきにたくさん練習して強くなる。
方法はひとつしかないと思っていた。
取手の練習を見せてもらって目標地点に行くのにいろんな方法がある。 すごく勉強になり、その教訓を生かして1985年夏、2度目の優勝をしました。

参考資料 ・夏の甲子園高校野球100回記念(8月3日、8月4日)
・アメトーーク(8月4日)
・熱闘甲子園スペシャル(8月4日)
・ファン10万人がガチで投票!(8月5日)
・週刊現代(8月18日25号)

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