院長ブログ

野球界あれこれ

投稿日:2018.03.01
数年前に星野仙一さんと倉敷の星野記念館でツーショットさせて頂き、感慨深い思い出があったのですが、1月に亡くなられ残念で仕方がありません。
星野さんの生い立ちは、あまり知られてないですよね。
星野さんのお父さんは三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所での現場リーダーでした。
体調を崩して入院した病院で出会った看護師さんと結婚されました。
昭和16年に太平洋戦争に突入後、倉敷の三菱水島航空機製作所の工長に就任され、水島青年学校で教育もしていました。
お父さんが再び病に倒れた時、妻のお腹には仙一さんがいました。
死亡して3ヶ月後に仙一さんが生まれたのです。
夫を亡くし女手一つで娘二人と仙一さんを育てねばならなかった。
仙一さんが3歳になるまでは家のもの(家財道具や着物)を売り食いして、幼稚園に行くようになってから働きに出ました。
仙一さんが小学校に上がってしばらくすると厚生施設の水島クラブの管理人の仕事をお父さんの部下から紹介され、暮らしは少し安定しました。
水島中学の野球部に入部しました。三菱の野球練習が終わると仙一さんはキャッチボールの相手をしてもらってた。
倉敷商業時代、お母さんは大学へ行くことを後押ししました。
明治大学時代、神宮球場のマウンドに立ちます。
そしてプロのスカウトから声がかかり、中日に入団することになります。
そのお母さんは2003年9月15日、阪神タイガースリーグ優勝の2日前に91歳で亡くなったのでした。
星野さんは選手には非常に厳しい監督だと思わせながら、裏ではものすごく優しい!
各選手の奥さんの誕生日には花束をあげたり色々と気を使っているからみんなついて行ったのですね。(NHK2015年5月22日参考)

ファン1万人がガチで投票!プロ野球総選挙

現役&OBプロ野球選手約8800人の頂点は?

1958年から2017年までの60年間(30年1月8日朝日放送)
野手部門 1.イチロー2.王貞治3.長嶋茂雄4.大谷翔平5.松井秀喜6.落合博満7.野村克也8.ランディバース9.金本知憲10.内川聖一
投手部門 1.大谷翔平2.野茂英雄3.稲尾和久4.金田正一5.田中将大6.江川卓7.江夏豊8.ダルビッシュ有9.上原浩治10.桑田真澄

しくじり先生

元プロ野球選手 江本孟紀(29年4月30日放送)

年輩でプロ野球に熱心な方は、あの暴言を覚えてますよね。
「ベンチがアホやから野球がでけへん」
自らプロ野球人生を捨て34歳で無職無収入になったのです。
まだまだこれからという時に決定的なしくじりをおかしたのですが、実は大学時代から問題児だったみたいですね。

男女858名(20~60代)
上司にたてついて問題になった経験をした人は33.6%
このデータを見て、古い人間の私は意外に高いと感じたが…

【暴言は放った相手の監督のタイプ】

A.口答えは許さない!ワンマン上司 ①法政大学時代、雨で水浸しやのに「どうしても練習をやる」と言って水はけ作業をやらされる。鉄棒を打ち込んで水を引く。腹が立って下級生に向かって「こんなことやっても無駄!監督はバカや」と言ったら、後ろに監督が立っていて「お前は帰れ」と宿舎に帰らされました。
暴言から学んだ教訓
陰口は必ずバレる
言うのなら堂々と目の前で言った方がいい
②キャプテンからしごきを受けた後輩の父兄が監督にクレームをつける。
それを聞いた監督は部員の上級生を集めて説教を始めた。
あまりにも時間が長くイライラしてきた。
なんかかわいそうになり、この状況で黙っていられなくなり
「いい加減にせえや!おんどれ!」
試合から干され、一切出られなかった。
プロへのアピールの機会を失い、ドラフトで指名する球団はなし
学んだ教訓
ワンマン上司への感情的な意見はプラスに働かない
上司にもミスがあり、部下から感情的に指摘されると認めにくいものです。
それでも意見を言いたい時は相手が受け入れやすい環境を作って言い方をかえていかないと…と学んだ

B.話を聞いてくれる理論派上司(野村克也)

私が恵まれない野球人生を送っていたことを研究し、性格も見抜き、褒めて伸ばす指導方法でした。前の年は0勝4敗でした。「俺の言う通りやれば10勝できる10勝したらエースやからエース番号16番をつけとけよ」目の前でそう言われると嬉しい。

理論派の野村さんがやった指導方法は全員平等にチャンスを与え勝ち抜いた奴を使うというやり方でした。自分はドラフト外なので、ドラフト1位やエリートにムカムカする。
そういうので競争させてもらってモチベーションが上がり1972年、16勝(14試合完投)
良い指導者の条件
部下の闘争心を上手に煽る
ところが野村監督とも関係がギクシャクしてくるのでした。
監督は野球に関しては真面目なほうでしたが、私生活でのやんちゃが週刊誌にスクープされ球場の回りにマスコミが殺到し、選手たちが練習に集中できないほどに大騒ぎになりチーム内が浮き足立ちました。
チームメイトが、投手のリーダー的存在(中間管理職)の私に監督に何か言ってくれと相談してきました。話が分かってくれる人なので意見すれば聞いてくれるのではないかと思い「チームのムードが悪いのは監督のせいや」と暴言を吐いてしまった。
するとお前ちょっと旅に出てこいやと言われ江夏豊とトレードされ阪神に行くことになりました。
この出来事で
上司のプライベートを突いてはいけないことを学んだ
上司と何でも言い合える関係だと思っている人がはまりやすい落とし穴がプライベートいじり。超えてはいけない一線です。

C.決断力がない優柔不断上司

野球界の名言で「名選手は必ずしも名監督ならず」
私生活では良い人、しかし監督が難しいのは勝負所でバシッと采配をふれるかの思い切りの良さがないといけない。決断力が必要。
ベンチであれこれ考えている間にゲームは進行する。采配をふる時はバーンとふって、ピンチになると決断をバシッとできるかどうかが大事なのですが、そこが優しすぎてできなかった人。
アンケート調査によると
どのタイプの上司が最も許せないですかの1位は
何でも人のせいにして責任逃れをする上司
私が不満に思ったのは理由を説明してくれないことだった。
起用法などずっと色々あって溜まっていたものがあった。
1981年8月26日ヤクルト戦8回表、阪神2点リード、2アウト二三塁の大ピンチ。
一塁が空いてるから敬遠するか勝負するのか監督に確認するためベンチを見ると、なんと監督の姿がない!
マウントで迷いながら投じた球がヒットで同点となる。
その後の打者を抑えてベンチに戻る際、怒りが爆発しグローブをベンチに向かって投げる。ロッカールームに行く途中で「ベンチがアホやから野球がでけへん」と暴言を吐きスポーツ紙にデカデカと出る。球団から呼ばれ処分せなあかんから10日間の謹慎をしてくれるかと言われるも、頑なに謹慎を拒否し現役を引退。

体力的には出来ると思いましたが、結果的には一人の上司のためにプロ野球選手という夢を捨ててしまいました。
今、思えばそうカッカせずに素直に謹慎10日ぐらいしてたらなと思います。
この事件で学んだ教訓が
仕事を捨ててまで言うほどの怒りなのか?
最後にもう一度考えてみよう!
誰だって上司が部下に怒ることはある。
怒りをぶつけることで大切にしてる場所を失ってしまう可能性がある。
当時の僕は人間的に未熟ですから自分の感情の赴くままに自分の事を考えて監督の思いに気がつかなかった。
プロ野球を引退して35年経ちましたけど、時々あの時あんな風にしてなかったらどうなったかなとか、いろんなケースを考えたりします。
相手の立場立場があることが分かった経験でしたね。
当時はどうしても嫌いな監督のことのダメなところばかり見えてしまう。
そういう人を見る目が一方通行だったところがしくじりだった。
こんな考えを持つようになりました。
上司の弱点をみんなで補い支えよう。
こういう風に思えるようになったのは野球解説業をしながら、プロ野球の監督を何人も見てきて采配以外の難しさや責任の重さを知ったことで歴代の監督の思いがわかってきた。
嫌いな上司ほど自分から挨拶しに行こう。
嫌いな上司は避けてはいけない。
上司の方も向こうは嫌っているなとみている、気にしている。
だから気楽に挨拶。
嫌っている部分があるだけに嬉しくなる。
嫌いな人だからこそ近づき理解する努力をすべし。

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