院長ブログ

永六輔

投稿日:2018.01.28
細木数子さんによると昨年は大殺界の2年目でしたが、私は相変わらず前進し続けております。

口腔外科学会での症例報告(トップの人が発表者、最後の人が責任者)高砂市政功労賞を表彰されたかさご広報と新聞に名前が乗りました。
歳をとるにつれて体力の低下を自覚するようになり、有名人の生き様を気にするようになっています。
鉄腕アトムの手塚治虫(2015年4月28日)アンパンマンの柳瀬崇(2015年11月14日)日野原(2017年9月24日)今回は永六輔さんをブログ化しました。

山田雅人さんの講演会(2017年10月15日16日埼玉県にて)で永さんの話をされていたのですが、早口で聞き取れませんでした(泣)1933年4月10日、東京浅草の最尊寺(1690年江戸時代に創建)の息子として生まれる。
長野県の疎開先で敗戦を知ります。
その時、心を癒してくれたのがラジオだったそうです。
りんごの歌を聴き、こんなラジオに出てみたいと思うようになったのです。
2年が過ぎ、東京のバラック小屋に帰ってきます。
狭いながら楽しく暮らすのですが、ラジオがないことに気づきます。
それで鉄くずを売って秋葉原で道具を買って鉱石ラジオを作るのです。
その鉄くずをお金に変えてくれるあんちゃんが渥美清(男はつらいよ)だったのです。

三木鶏郎さんの家に呼ばれて淀川長治さんと知り合いました。
永さんは淀川さんから「あれが嫌いとか好きとか言っちゃダメ。あれはできないとか言っちゃダメ。いろんなものを見なければいけない」と教訓を受けるのです。
それから永さんは歌舞伎、落語、野球とか色々学び、どこにでも行くようになります。
そして中村八大さんと出会うのでした。
すると中村さんは永さんに曲の譜面を手渡し、作詞を依頼したのです。
出来上がった一曲目がレコード大賞を受賞した黒い花びら、二曲目はこんにちは赤ちゃん、僕は黄昏のビギン、帰ろっかな…とヒットしていきます。
中村さんが「11曲目が出来ない、親と離れて寂しかった、涙が」と言ったのを聞いた永さんは「上を向いて歩こう涙がこぼれないように」と作詞するのでした。アメリカでは「SUKIYAKI」のタイトルで大ヒットとなるのです。何もしないでもお金が入ってくる、すごい印税が怖かったそうです。

大阪留学でバランスを取ったことで、いろんなものを学ぶようになりました。
そして舞台にこだわるようになります。
テレビだと一方通行であり、食べ物の番組を見ていると美味しいしか言ってない!
自分の足で運んだことを舞台で喋りました。
ラジオの方が近いので、テレビを断ります。
そしてラジオと舞台一筋に命を賭けるのです。
パーキンソン病になりました。

口全体が言うことを聞いてくれない。
頭で考えた言葉が言葉にならない。
永のラジオが聞きにくい、もうやめたほうがいいとの声が飛び交う。
それでもラジオに出演し続けました。
なぜ出演を続けたのでしょうか?
私は病気を隠すよりは元気に難病をやっている方が、同じ病気の人たちのためになる。
ラジオを聴いているのは元気な人だけではない。
病気の自分がラジオに出演し続けると元気を与えられるかもしれない。



28年11月25日金スマより

永六輔さんが人生でとても大事にしている言葉

生きているということは誰かに借りをつくること
生きていくということはその借りを返してゆくこと
誰かに借りたら誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう

永六輔さんが遺した深みのある言葉

人は二度死ぬ。
個体が潰えたら一度目の死。
死んでも誰かが自分のことを思ってくれている。
誰かが自分のことを記憶に残していて、時折語ってくれることがある限り生きている。
そしてこの世界で誰一人として自分のことを覚えている人がいなくなった時、二度目の死を迎えて人は死ぬんだよ。

人生の中で思い出したい言葉の数々

他人の事が気になるのは自分が一生懸命にやっていないからだ!
周りが気になり、つい隣の芝生が青く見えてしまう。
他人を羨ましく思ったり、妬んだり、嫉妬したり…
仕事、プライベートでも自分が一生懸命になる何かがあれば他人は目に入らなくなるハズ。

文句を言ってても一日、ニコニコしていても一日。
だったら人当たりの良い一日の方がいいんじゃないかい?
毎日いいことばかりではもちろんない。
誰にでも今日はついていないと思う一日があるハズ。

いいですか夫婦って赤の他人ですよ。
赤の他人同士が起こす奇跡。
それが夫婦というものです。
結婚生活が進むにつれだんだん愛情が薄れていくように感じる。
次第に相手の嫌なことばかり目に付き、不満が募っていき、長年連れ添ったからこそ「なんでこんな人と結婚しちゃったのかしら」
そんなふうに思うことがあるかもしれない。

家庭というのはこんがらがった糸ですよ。
こんがらがってるから家庭なんです。
ほどくとバラバラになっちゃいますよ。
大なり小なり家庭には問題があるもの、例え現在はなくとも遺産、相続など未来にどんな揉め事が起きるか分からない。
家族とはそもそもどんな存在なのか-。
むしろぶつかり合える関係を尊いと思うようになる言葉ですね。

死を前向きに捉える言葉

死んだって言うからおかしいんだよ。
先に行っただけなんだから。
寺育ちというのは、物心がついた時から「死」が日常なのです。
お寺の子として育てられた永さんが日常のように目にしていた死が関わること。
人の死に慣れてくると、いくらか気持ちが楽になってきます。
子供の頃から思っていたように人間は死ぬものだと捉えた方が楽なんです。
普段の暮らし方と死ぬということをつないで考えていくことが大事なのです。

家族のために死んでみせることが最後にできること
その姿勢こそが一番大事
亡くなる時、人は何を残していけるのか?
25年前、父の死から自分なりの答えを見つけた。
つまり、家族に死というものを教える。
誰かのためというのなら家族や知人のために死ぬということそのものが、とても価値を持つ行為のように思えてきた。
人の死を自分が家族に見せるだけで何かを残していける。
そう思えば先に行くことに意味を見いだせる言葉ですね。

週刊現代2018年新春特別版によると中村八大さんの上を向いて歩こうの譜面には最初から
「あ~るこぅおぅおぅおぅ」と書かれていました。
坂本さんの歌い方に永さんはご立腹だったようですが、中村さんは「九ちゃんなら、それでいい」と考えていたということです。
妻の由紀子さんは、永さんの厳しい師匠という感じで、だいぶ指導もされたみたいだと述べられています。

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